<三木義一・税の複眼的考察>第1回「代表なければ課税なし」(青山学院大学名誉教授、前学長・弁護士)


参議院選挙

参議院選挙が始まりました。この選挙のあと、3年ほど選挙がないようですので、与党は本音を出してきますね。増税ですね。今までの伝統的な均衡財政論に従えば、日本の財政は火の車どころか、鉄をも溶かす溶解炉の中にいる状態ですから、与党は本来選挙前にそのことを堂々と表明して選挙戦に突入して欲しいものです。しかし、現実は、選挙の心配がなくなってから本音を出します。ですから、庶民は自分たちの味方になってくれるような人を代表として選んでおいて、不合理な課税を避ける必要がありますね。

課税には納税者の同意が必要だというこの美しい主張は、納税者の代表者で構成される議会で承認される法律に基づかなければ私達は税を負担する義務はない、という租税法律主義にもつながっていきます。

代表なければ、の本音

さて、このように美しく語られる「代表なければ課税なし」の原則ですが、本当こういうものだったのでしょうか?このスローガンはアメリカの独立戦争の象徴でもありますが、特に有名なボストン茶会事件がおきたのは1773年です。日本だと田沼意次が老中になった翌年です。そんなときに、イギリスで普通選挙が行われていたのでしょうか?少し調べてみると、当時はイギリスでも人口の3%しか参政権はなかったのです。しかも、当時のイギリスの選挙は不正が蔓延していたようでもあります。そういう状況の中で、アメリカ市民が、イギリスの市民にも参政権を付与し、我々にも与えよ、と言ったわけでもないようです。

むしろ、アメリカの裕福な支配層が俺たちにもイギリス並みの特権を与えろ、という主張だったようにも思われます。(コリエンP.A.ジョーンズ「アメリカが劣化した本当の理由」新潮新書2012年参照)

現代の「代表なければ」

しかも、この原則を現代社会にそのまま当てはめると、困った問題がいろいろ出てきます。
現在の超富裕層は国境を越えて、世界中を動き回っているので、どの国にも選挙権がないかもしれません。この人達が、代表なければ課税なし、を強調して、納税を拒否したら、そのとおりだと応援できるでしょうか?

逆に多くの国では既に自国民だけではなく、外国人も滞在しています。現代の税制の大半は、国籍主義ではなく、住所地主義で課税しますので、外国人でも日本に住んでいれば選挙権は行使できないのに、税金は負担しなければなりません。消費税などは、住所どころか、ちょっと旅行して買い物をしただけでも負担することになります(厳密に言うと、消費者は納税義務者ではないので、問題ではないとも言えますが)。

代表なければ課税なし、の原則を貫くなら、多くの国々で採用している住所主義に基づく課税と選挙権のあり方が問われることになります。また、日本人で海外で居住している人達に選挙権を認めなのは違憲だという美しい判決を最高裁が示し、現在では保証されていますが、そういう人達が海外にいながら、日本の税制のあり方を左右する選挙に関与することに不快感を持つ人もいるでしょう。

代表あっても

それに日本国憲法では「代表あっても課税してはいけない」ことが憲法でいろいろ規定されているのです。例えば、女性だからという理由で、特別な税を課したら違憲となります。日本では、与党が長いこと憲法を大切にして来なかったので、あまり気づかれませんが、今の日本で庶民を護ってくれるとても大事な原則があります。それは「健康で文化的な生活なくして課税なし」です。憲法25条の要請はすべての国民に及びますし、課税も制約する原理です。

もちろん、健康で文化的な水準をどこに求めるかについては幅がありますので、こういうものの判断基準を与野党できちんと議論すべきではないでしょうか。

時代は「代表なければ課税なし」から、「健康で文化的な生活なくして課税なし」に移っていることを今回は強調しておきたいと思います。

 

三木義一

1950年5月3日生まれ。1973年3月中央大学法学部法律学科卒業、1975年3月一橋大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了修士(法学)、1975年11月一橋大学大学院法学研究科公法専攻博士課程退学。1994年4月立命館大学法学部教授、2010年4月青山学院大学法学部教授、2014年4月青山学院大学 法学部部長・大学院法学研究科長、2015年12月同大学学長、2019年12月  学長退任、2020年4月定年退職。現在は弁護士、青山学院大学名誉教授。著書に「日本の税金(第3版)」(岩波書店2018年)、「日本の納税者」(岩波書店2015年)、「相続・贈与と税」(信山社2005年)など。その他、実務書、監修書なども多数ある。


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