「イエロージャーナリズムを自覚せよ」


イエロージャーナリズムが蔓延っている。

芸能人の恋愛事情やスポーツ選手の私生活、これほど日常が劣情に訴えるニュースで溢れたことはあるだろうか。新聞もテレビもネットも例外ではない。低俗という言葉自体が「死語」に思えるほど、メディアの劣化が進んでいる。

19世紀末、米新聞王のジョゼフ・ピュリッツァー氏の『ニューヨーク・ワールド』紙は部数を飛躍的に伸ばした。部数増の最大の理由は、ジャーナリズムとは程遠い興味本位の煽情的な記事を並べ、とりわけ日曜版に掲載した人気漫画「イエローキッド」によって読者の関心を集めたからに他ならない。

ライバル紙の『ニューヨーク・ジャーナル・アメリカン』もまた同じ道を選択する。同紙の社主であるウィリアム・ハースト氏は、編集主幹に対して、さらにセンセーショナルな記事を掲載するよう命じ、ついには「イエローキッド」の作者を引き抜いて、『ニューヨーク・ワールド』紙に対して「販売戦争」を仕掛けたのだった。

話はそこで終わらない。一方のピュリッツァー氏も、別の漫画家を採用し、『ニューヨーク・ワールド』紙で「イエローキッド」の連載を再開させた。こうして記事の質ではなく販売数によって争った両紙は「イエローキッド新聞」と蔑称され、以降「イエローペーパー」「イエロージャーナリズム」という言葉が定着することになった。

約120年後の日本でもメディアによる同じ過ちが繰り返されているようだ。放送や通信の発達により、事態は複雑で、より低俗な状況に陥り、深刻さを増しているようにも思える。メディアのイエロー化は、民主主義を機能させるはずの選挙報道にも及んでいる。

参院選における報道の劣化が著しい。もちろん、時代に合わない公選法や選挙システム、あるいは選挙広報の仕方などに問題があることは否定できない。それにしても、各党・各候補者の政策がここまで有権者に届かないのなぜだろうか。

今回の参院選期間中に、コメンテーターや評論家などが新聞やテレビやネットなどで発信した「選挙報道」をいくつか拾ってみよう。

▼「れいわ新選組」の候補者でお笑いタレントの水道橋博士と「維新の会」の松井一郎代表が街頭演説の場所で遭遇した
▼元アイドルの今井絵理子議員と同じ「自民党」の候補者である同じく元アイドルの生稲晃子候補が、応援演説で遭遇した
▼芸能人の暴露を行っているYOUTUBERを応援するため、同じYOUTUBERのヒカル氏と青汁王子(三崎優太氏)が選挙カーに乗った

19世紀の米ニューヨークのイエロージャーナリズムの方がまだマシに見える。

選挙報道において、私たちメディアはその本質である候補者たちの政策を伝えるための努力を惜しんではならない。有権者が私たちに求めていることは、日々の生活や将来の不安に対して、どの候補者がどのような答えを持っているか、あるいは、投票先の決定を助けるための材料となるような情報の提供に尽きる。

メディアを通じて知る選挙情報が、タレント候補の活動や有名人の当落結果ばかりというのは情けない。大半の国民にとって、そのような情報は実際はどうでもいいことなのだ。日本の有権者はメディアによる興味本位の劣情のエサに欺かれ、あたかも重要なことであるかのように洗脳されている。その結果、長年、政治の怠慢に気づかず、国家の劣勢まで許してきたのではないか。

私たちメディアは、政治の無策や選挙の衆愚化を嘆くよりも、まずは自身のイエロージャーナリズム化を自覚すべきではないだろうか。


こんな記事も