【ジープ島からの贈り物】〜自然と人が繋がる大切さ〜 第2話 「山下和馬として生きた18年間」渡会和馬
(編集部注)この原稿は赤道直下のミクロネシア連邦チューク州からインターネット回線を通じて日本に送られています。

小さい頃から海が大好きだった

父と僕

世界一周達成。世界中の幸せと夢を聴いて世界地図に書いてもらった
前回のコラムでも述べたように僕の旧姓は、山下和馬(やました・かずま)という。
しかし、名前とは本当に不思議だと今になって心から思う。こんなにも大きく人生が変わるのかと信じられないくらいだ。
現姓、渡会和馬(わたらいかずま)。
世界を”渡”り人に”会”い “和”ませられるサラブレット”馬”のような人でありなさい。
そんな想いのある名前になっている。
世界40か国、フィジー移住、アメリカ周遊、新潟移住をし、ジープ島まで辿り着く頃にはこの名前に大きな意味を感じるようになり誇りとさえ思う。

アメリカ周遊中のホースシューベントにて

フィジーの船の上で

大学の卒業旅行でイングランドのサッカースタジアムへ
また、一説には現在の三重県(旧度会府、度会県)にある伊勢神宮は元々、度会家が所有していた土地を譲って建てたのだとか。
そして、”ワタライ”とは朝鮮口語で”パタライ”といい海族(海洋民族)と言われたそうだ。
日本の歴史と海にとても由縁のある姓らしい。
ここからは、過去の話しをさせていただく。
僕は岐阜県可児市にて両親共働きで二世帯住宅に住み、両親、僕、妹と母方の祖父母と共に過ごしていた。特に不自由なく。
春には花見、夏は海、秋はテーマパーク、冬は雪山によく行くアウトドア一家で育つ。 そして、感情が豊かというより泣き虫な少年だった。
泣く度に強い男に育てたかった父によく怒られていた。今、思い返すだけでも嫌な思い出がよみがえる。
小学生にはサッカーを始め、中学、高校はサッカー推薦と順調に歩んでいたが……。
高校2年生の時に人生で初めてどうしようもならない挫折を経験する。
それが両親の離婚だった。
その時に母に着いて行き名前が変わり、コントロールできるはずもない心を押し殺し、平然と毎日を過ごしていた。
僕自身も今、34歳となっては結婚、離婚、婚約破棄の経験がある。
母や父をその時は恨みもしたけれどお互いが幸せに生きる今を見て心から嬉しく思う。
そして、僕も含め人は不完全ながらも前を向き生きていくことに意味があると知った。 山下和馬として生きた18年間は、振り返れば順風満帆のように感じている。
ここから始まる渡会和馬として生きた道の中には、経験に感謝しつつも「もう2度と味わいたくない」と今でも願うことがある。
吉田さんのお言葉をお借りすると、人生は「絶望で潜行し希望で浮上する」というように 挫折の先にある光を目指して歩んでいたように思う。ここでは止まれなかった。
僕の心の支えになったのは、失敗と苦悩という経験の連続の中から見つけたこれ以上は譲れない本当に小さな光のようなものだった。
そのお話しを次回させていただく。
人生最大の挫折。それは、19歳のある時に母が突然、植物人間状態になり更に3,200万円の借金を負ったのである。

燕岳の朝日で一枚

列車の墓場と言われるボリビアの観光スポット

沖縄の海で綺麗で写真撮影