【ジープ島からの贈り物】〜自然と人が繋がる大切さ〜第5話 「世界で1番しあわせな国(フィジー共和国)」渡会和馬

(編集部注)この原稿は赤道直下のミクロネシア連邦チューク州からインターネット回線を通じて日本に送られています。

 

フィジーのダイビングボートの上で

幸せってなんだろう。

僕にとってそれを探すことが旅をする理由でもあった。

布を切って自分で世界地図を作り旅先の国で、「あなたの夢と幸せはなんですか」と質問をし、答えを自分の国に書いてもらっていた。

そして、とうとう僕は幸せに辿り着く。

僕は27歳の時に、40か国目に訪れたフィジー共和国という南の国に移住することになる。

“ケレケレ”
あなたのモノは、私のモノ。
私のモノは、あなたのモノ。

これは日本では、優しいジャイアンと言われているらしい。

この国には所有の概念があまりなく、助け合いやシェアをして支え合って生きていく文化が根付いていた。

それは、自然が誰のモノでもないように、海、山、川などからいただく命の恵みを皆で分かち合う大切さ。

それは、喜びや幸せであり感謝の心そのものだったように思う。

しかし、日本人だった僕は最初慣れなかった。全てにおいて所有者がいて、お金や時間が発生して取引が行われる社会に生きてきた。

ある日の朝、フィジーのホームステイ先で洗濯をしたTシャツを取り込もうとしたところ、その家の子供が僕のTシャツを着て既に汚れて遊んでいた。

It’s mine(それは僕のTシャツだよ)と声を掛けた。

その時にその子供は、「ケレケレ」と言って何事もないように遊び続けていた。違うことも含めそんな機会が何度もあった。

バスに乗ろうとした時の出来事だった。フィジーはバスカードというものが必要で、僕はお金をチャージし忘れていた。

乗れないと思ったら1番前に座っていたフィジー人に「ケレケレ」と言われて、バスカードを渡された。

もちろん、知らない人だ。あの時の驚きや感謝、喜びは中々に言葉に言い表せられない。

仕方ないからではなく、当たり前の様に手を差し伸べてくれているようだった。

おもてなしの文化がある日本人ができないとは思わないが、日本は色んな側面から見て豊かであり、より増やすことに意識が行き過ぎている様にも感じる。

生きていることが幸せ。助け合えることが生きがい。人は、1人では生きられない。

どれだけの人がそう心から想えているのだろうか。

吉田さんが言っていた。「人もまた自然の一部なんだよ」。

間違いなく僕達は、生かされている。そして地球の一部として共に支え合って生きていかなければならない。

そんな本質的であり真理を忘れてはいけない。

僕は、フィジーで心が苦しくて水平線に落ちる夕焼けを見ながら泣いていた時があった。

その時に朝から夕方までヤシの木の前で友達とお話ししているフィジー人が近寄ってきてこんな風に言われた。

Why you look so sad?
(なぜ、悲しい顔をしているの?)
just alive you so happy‼
(ただ生きているだけでとても幸せじゃないか)

そう僕に言い残し、また友達と喋っていた。

お互い母国語ではなかったが、彼が心の底から想っているんだと感じた。

何もしなくても幸せといいたい訳ではなく、生きていることに幸せを感じられない生き方は幸せではないよ。

僕は、心というモノをこの時に手に入れられたように思う。

悩みについて考えていることが1番の悩みであるように。

幸せを考えながら生きている時間こそが1番幸せな人生だろう。

僕は、フィジー移住の3年間でダイビングのスキルと心を磨かれた。

それが無ければ、きっと今ジープ島で生活はできていなかっただろう。

(※2016年にフィジーは、世界幸福度ランキングで1位になっている)

アイランドリゾートで

ダイビングポイント

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