【Biz Search#4】「無理だ」の声を覆せ! 町と伝統を守る「千年鮭 きっかわ」の逆転ストーリー
観光とは無縁だった新潟県村上市が、今や年間30万人を惹きつける町となった。
その立役者が「千年鮭 きっかわ」の15代目・吉川真嗣氏だ。東京で順調なキャリアを歩んでいたが、家業を継ぐ決断をする。それは単なる事業承継ではなく、「鮭文化を未来につなぐ」という使命を担うものだった。
目次
1.「売れない」を「価値」に変える ―― 伝統を武器にする再生戦略
2.「夢の続きは故郷にあった」 ―― 東京の商社パーソンが見出した“本当の使命”
3.「復古商法」を村上に ―― 町おこしの神から伝えられた、大きすぎるミッション
4.「語り継がれる町にする」 ―― 千年の物語が動き出すとき
5.「反対しかない……」逆風のまちおこし ―― 保守的な町に、美しく立ち向かう
6.日常こそ観光資源 ―― 地元の人は気づかない価値を売れ!
7.観光が本業を伸ばす ―― 町おこしが生んだ“逆流のシナジー構築法”
8.「売上を伸ばし、町も活性化」 ―― 二刀流経営の勝ち筋とは?
9.「劇的変化」が人を動かす ―― 突破力を生む経営の仕掛けとは
10.「売れるブランド」の方程式 ―― デザイン×ストーリー×体験の相乗効果
11.信念が紡ぐ。 ―― 美しさに宿る、唯一無二の価値
1.「売れない」を「価値」に変える ―― 伝統を武器にする再生戦略
平安時代から豊富であった村上の鮭は、江戸中期、乱獲により漁獲量が激減。そのとき、下級武士・青砥武平治(あおとぶへいじ)が考案した革新的な鮭の産卵改善プランによって漁獲量はV字回復。鮭文化のバトンを現代までつないだ。
村上鮭文化の中心にある「きっかわ」は、1626年に創業し、コメ問屋から酒造業、酒小売業へと転換してきた。
1960年代、日本の食文化や伝統が軽視されていく中、先代の吉川寛治氏は千年も受け継がれてきた文化が姿を消しつつあることを憂い、鮭加工専門店へと180度の事業転換を図る。
文献などから途絶えかけた鮭料理や加工技術を蘇らせ、「鮭のまち」の礎を築いた。結果論ではあるが、これは「伝統の保存」にとどまらず、ライフスタイルの変化を見極め、新たな市場価値を生む戦略的決断につながっていた。

塩引き鮭を軒先に。村上の町屋ではこの風景が日常
村上では鮭料理が日常すぎて『売れるものではない』とされ、銀行からも融資を断られた。しかし、考えてみれば『家庭で再現できない価値』こそが、伝統産業におけるブランディングの核心と言えるものである。
年月が経過し、村上市内の割烹料理店などで鮭のメニューが増えはじめた。誰からも見向きもされなかった時期を突破し、ようやく目指していた未来が見えてきた。
2.「夢の続きは故郷にあった」 ―― 東京の商社パーソンが見出した“本当の使命”
『仕事とは、いかに生きがいを持って働けるかだと思います』。
吉川真嗣氏がインタビューの間にこの言葉をはさんだのが印象に残っている。
仕事の『生きがい』は自由であり、そのプライオリティは他人に否定されるものではない。
ただし、『仕事の本質とは、生きがいを持って働くことにある――』。その真実にどれだけ早く気づけるかが、人生を大きく左右する。
中学時代から吉川氏の夢は、グローバルな舞台で活躍することだった。東京の大手商社でその夢に向かって歩み始めたが、ある日、村上の家業が呼び戻した。
『自分の役割は何か?』その問いの答えは、故郷にあった。
この決断は、『自らのブランドを確立する挑戦』でもあった。個人のキャリアは、自身の価値観、スキル、社会のニーズが交差する点において最適なポジションを見つけることにより、最大限の価値を発揮できる。

Shoko Takayasu © SHOKO Photography 2023
「グローバルな舞台」と、「村上の伝統文化」。その真逆ともいえる分岐点を、「自分がやりたいかどうか」ではなく、「今自分が必要とされているのはどちらか」で選択した。仕事の生きがいはどちらの舞台でも見出すことができる。
『自分が必要とされる場所は商社でのグローバルビジネスの場ではなく、村上の伝統・文化を受け継ぐことだ』
思い切って飛び込んだ、その伝統文化の世界で、吉川氏は天命を感じることとなる。
本当に活躍できる領域が、今、足を乗せている道の先にあるとは限らない。むしろ、自らが価値を提供できる新たなポジションを創り出すことが、競争の激しい時代におけるキャリア戦略の鍵となる。
3.「復古商法」を村上に ―― 町おこしの神から伝えられた、大きすぎるミッション
当時の村上は道路拡幅により、城下町の面影を少しずつ失っていた。「きっかわ」のある商店街にも大規模な近代化の話が持ち上がり、この場所も「どこにでもある新しい町」になってしまう危機にあった。
『これでいいのか……』と疑問を抱いていた頃、新宿髙島屋の物産展に出展していた「きっかわ」のブースを、ある人物が訪れる。全国町並み保存連盟の会長・五十嵐大祐氏(故人)だ。五十嵐氏は、福島会津の城下町を低リピート率の「見るだけ観光」から、町の文化に触れる「没入型観光」にシフトさせた「町おこしのプロ」である。
五十嵐氏は告げる。
『道路を拡げて良くなった商店街なんてどこにもない。』
『自分の町が壊される前に、あなたがそれを止めなさい。』
『歴史を活かして成功した町はあるが、壊して成功した町は無い』。これは五十嵐氏の唱える『復古商法』の基礎だ。全国には、道路拡幅によって町並みを失い、一気に衰退が加速した商店街がいくつもある。
4.「語り継がれる町にする」 ―― 千年の物語が動き出すとき
五十嵐氏の影響もあり、うっすらと未来のビジョンが見えはじめていた。この町の未来は、道路拡幅による近代化ではない。「きっかわ」も、村上の町も、「歴史を体験できるブランド」として再定義することを求められているのではないか。
「きっかわ」は、単に鮭を売る店ではない。そこには、千年以上続く村上の食文化があり、武士の知恵があり、人々が鮭とともに歩んできた物語がある。このストーリーこそがブランドの核であり、残すべき価値だ。
ブランドとは、ストーリーの蓄積である。その意味で、村上の城下町は『生きた物語』を持っている。城下町の風景は、ただの背景ではなく、そこに息づく文化・伝統・人々の営みこそが価値なのだ。村上の町並みを守ることは、村上というブランドと、「きっかわ」というブランドを、より強くするための戦略でもある。
もし町並みが失われれば、「きっかわ」の価値もまた半減する。歴史ある町だからこそ、その一軒一軒に意味があり、物語があり、人を惹きつける。
吉川氏は目前に迫る「近代化」を阻止しようと決意を固めた。
5.「反対しかない……」逆風のまちおこし ―― 保守的な町に、美しく立ち向かう
村上は当時、近代化を強く願う人ばかりであった。商店街も古い建物を壊し、セットバックすることによって行政から補償金が支払われるからだ。町の未来よりも自身のキャッシュを重視する「自社最適」の価値観もまた、否定できるものではない。しかし吉川氏は、「町最適(全体最適)」 が最終的に各商店にとっての自社最適につながると確信していた。
保守的な地で、「地元の常識 VS 町おこしのセオリー」の、相入れない日々が過ぎる。
計画見直しは聞き入れられず、署名活動に打って出ても、大反発によって撤回を余儀なくされた。
吉川氏は「真っ向からの対立ではなく、結果で示す」ことが最適なリーダーシップであると判断した。リーダーシップには『強制する型』と『共感を生む型』があるが、オーディエンスを鑑みると、この局面では後者が圧倒的に有効である。
町が活性化する姿を「目に見える形」で示す。そうすれば理解を得られる時が来ると信じ、これまでの『否定的活動』を止め、『肯定的町おこし』に切り替えた。
6. 日常こそ観光資源 ―― 地元の人は気づかない価値を売れ!
「歴史を活かす」と五十嵐氏は言うが、村上の歴史とはいったい何なのか。町中を歩き、魅力を探した。
また、全国400以上の観光地を視察し、現地ではキーマンに話を聞いて、多種多量のインプットを持ち帰る。持ち帰ったインプットを早々に、専務の吉川美貴氏と『「きっかわ」や村上に置き換えてみたらどうなるか』と紐解いて、村上バージョンのアウトプットを妄想した。
観光は「可処分時間」の奪い合いだ。その意味において、「ここには何もない」と決めつけてはならない。他の地域を見て学び、観光客の声や地域の歴史に耳を傾ける。そうして見えてくる「何か」が、人の心を動かし、時間を費やしたくなる場所になる。
吉川氏が最初に気づいたのは、自身も含め「地元の人には、自分たちの価値が見えない」という現実だった。村上に残る歴史的な佇まい、そして吊るされた鮭。これらは当たり前すぎて、特に価値のないものとして見過ごされていた。
そんな中、「きっかわ」の店に、遠方から「吊るされた鮭を見たい」と、訪客があった。当時はまだ遠方からの見学者など珍しい。そこで、店頭を抜け、建物の奥まで通したところ、商売スペースと住居スペースが一体となった、城下町に残る「商人の家」の形、いわゆる『町屋』の姿そのものに驚き、感動して眺めている。囲炉裏、仏壇、神棚などは、町屋に住む側にとっては日常の空間だった。しかし、訪問者はそれを『都会とは別世界だ』『タイムスリップしたようだ』といって喜んでいる。
『これだ!』
吉川氏は「町屋の奥に残る日常が、観光客にとって新鮮な体験価値になり得る」と、インサイト(潜在ニーズ)に気がついた。
地元の人には当たり前でも、外部の人の目からは「希少性のある文化的体験」として映る。企業活動においても「当たり前を疑い、他者視点で捉え直す」ことが、新たな価値創造の起点になる。
7. 観光が本業を伸ばす ―― 町おこしが生んだ“逆流のシナジー構築法”
村上を訪れる理由は『非日常』。「歴史的な城下町の情緒を感じたい」「伝統的な暮らしに触れたい」「普段の生活では得られない経験をしたい」といった心理的な欲求に基づいている。吉川氏も地元の人々も、それが「特別な価値」だとは思っていなかった。この「価値認識のズレ」にマーケティングチャンスが潜んでおり、観光資源としての可能性を秘めていた。
ここから、「日常を観光コンテンツ化する」という戦略に走り出す。
早速、「村上町屋商人会」を立ち上げた。町屋の奥を公開し、見学してもらう観光イベント「町屋の人形さま巡り」「町屋の屏風まつり」などを立て続けに企画し、村上の歴史や文化を「体験できる町」へと進化させた。
この構造は、異業種連携による「クロスセクター型の事業開発」の応用と捉えることもできる。観光、飲食、小売、文化といった複数の領域が、体験価値を媒介に連携することで、地域全体のブランドが一貫して形成されていった。一業種単独型では得られない相乗効果がこの成功を支えている。
ここで重要なのは、単なる町おこしではなく、「商品開発 × マーケティング」の視点で戦略が構築されていることである。
「きっかわ」も、店舗の奥にある居住スペースまで開放し、観光客が町屋の雰囲気を感じながら買い物ができるスタイルを確立した。千匹の鮭が吊るされる光景は圧倒される。これにより、年間30万人の観光客を呼び込むようになる。
当然、町おこしの成功は、本業(鮭文化継承)にもシナジーがあった。
村上の町並みを目的に訪れた観光客は、町屋の雰囲気を味わいながら「鮭文化」への興味を持ち、そこにある物語に惹かれるようになった。単なる商品販売ではなく、体験型マーケティングが機能したのである。
8.「売上を伸ばし、町も活性化」 ―― 二刀流経営の勝ち筋とは?
近代化をくい止め「歴史を活かした町おこし」を目指し成功を収めた吉川氏。振り返ると、いくつかの成功要因が見えてくる。その筆頭に挙げられるのは、リーダーシップのプロセスである。
短期間で成果を上げる秘訣は、『反対派を巻き込まないこと』と吉川氏は語る。大規模な変革には必ず反対意見がつきまとう。吉川氏は、「賛同者だけで進める」という戦略によって、従来の商店街組合や行政の枠組みにも頼らず、自分で動き、スピーディに改革を実行していった。
町屋の奥を公開してくれるよう、一軒一軒の商店に自ら出向いて協力を募る。第一回のイベントでは村上茶の老舗『冨士美園』など22軒が賛同してくれた。これも賛同した22軒のみ販促物に掲載し、観光客へのPRをスタートさせた。
次に、「みんなで頑張ろうとしないことです」と、自分に対する退路を断った覚悟も加えた。
同意ありきで進めるのではなく、改革は、「私がやる」のである。
『リーダーシップによる意思決定と責任の明確化』こそが、初動のスピードと独自性を生む。特に構造変革を伴う挑戦では、合意形成よりも先に、「誰が責任を持って決断し、実行するか」が成否を分ける。
大勢の会議では個人的感情を内包した異論反論が混ざり合う。人数が増えるほど不納得者の混在率が高まり、ユニークなアイデアは閉じ込められ、トゲのない、丸くて平凡なプランに落ち着くのである。
9.「劇的変化」が人を動かす ―― 突破力を生む経営の仕掛けとは
「きっかわ」の奥の客間に、昔ながらの「振り子時計」が掛かっていた。昭和を代表する経営者の伝記に、『新しいことをするときは、振り子を振りすぎるくらいでちょうどいいのだ」という言葉があったことを思い出した。
町屋の景観を守るため、「黒塀プロジェクト」を始動。スピードを上げるため近隣の住人を巻き込み、現代風のブロック塀を、城下町の風情漂う黒塀に変え、全長460メートルに至った。さらに「むらかみ町屋再生プロジェクト」を発足し、昭和の商店のように塗り替えられてしまっていた店舗70軒以上を、城下町時代の町屋に復元させた。目に見える変化を示すことで、人々の意識を動かし、町の未来を切り拓いていった。
吉川氏は、何かを起こそうとするとき、「『やれる範囲でやろうとしない』と決めた」とも語る。
到達可能な目標値を定めれば、それ以上の成果は得られない。ムーブメントを起こすには、振り子を振りすぎるような、「それを突破する」エネルギーが必要なのだ。誰もが納得する「見てわかる成果と変化」を狙い、大胆な動きを意識していった。
10.「売れるブランド」の方程式 ―― デザイン×ストーリー×体験の相乗効果
「きっかわ」が社内で共有しているインナーテーマは「真・善・美」という。
吉川氏が東京から家業に戻り、25年が経過していた。
新ブランド「Madam Kikkawa」を立ち上げ、現代的な商品を展開。新たなチャレンジだ。洗練されたパッケージデザインと、伝統製法を活かした高付加価値商品で、定番とは異なるターゲットを求めた。
本店の近くに鮭料理専門店「井筒屋」をオープン。井筒屋は1689年、松尾芭蕉が宿泊した歴史ある旅籠を活用したもので、「伝統を生かしながら新たな価値を生む」という経営の方向性を象徴している。この店で「食べる体験」を提供し、ブランドの世界観をより深く浸透させていく。
そして「味匠 喜っ川」から「千年鮭 きっかわ」に屋号を変えた。自社のオリジナリティと、歴史継承への姿勢をより強く打ち出した。与える印象や見た目も、あの「町おこしのプロ」、五十嵐大祐氏が大切にしたポイントだった。
『店づくりやおもてなしをいくら頑張っても売れない時は、「人を感動させる美学」が不足している場合がある』とよく教えられたという。
きっかわの店舗前を旧車のアウディが通り過ぎた。ヴィンテージカーが、現在のデザインよりもおしゃれに感じることがあるように、「本物の古さ」は新しく感じる。ただし、下手をするとただの中古車になってしまう。「古いか古くないか」という事実だけでなく、「古く感じるか、感じないか」、つまり、「どう見えるか」は、消費者の抱く価値に直結している。
11. 信念が紡ぐ。 ―― 美しさに宿る、唯一無二の価値
多くの事業が「練りすぎた戦略」と「動かない現場」のギャップで頓挫する中、吉川氏のアプローチは、試行と成果を積み重ねる『実行ファースト型』であった。まずやってみせ、変化を体験させる。その積み重ねが組織や地域を動かした。
ある年、これまで近代化への賛成が96%だった村上の民意は、「歴史ある街づくり」に100%合意を得られ、道路拡幅計画は廃止された。
「きっかわ」は地域資源を活かし、伝統を守りながら新たな価値を生み出す”村上型”のイノベーションマネジメントを示した。あらゆる事業において、ここから得られる示唆は多い。
村上市内の瀬波海岸。自生する「ハマナス」の花言葉は「旅の楽しさ」と教わった。鮮やかな濃桃色に、バラ科特有のトゲがあるらしい。その美しさと鋭さは、「きっかわ」のブランド哲学にも通じる。ブランドとは総論、「これは他と違う」と思わせることである。美しさに鋭さが加わってようやく、他との差を認知される。
旅人の足が止まる町がある。
そこには、「物語の続き」が、鮭とともに吊るされている。
濵畠 太
ビジネス書作家、マーケター、ブランドマネージャー。
東証プライム上場企業4社で広報、プロモーション領域責任者を歴任。2013年より、企業に所属しながらビジネス書の出版、研修講師など社外に活動の場を広げ、現在も複数地方の自治体や中小企業の経営コンサルティングを受託している。
<著書>
『小さくても愛される会社のつくり方』(明日香出版社)
『わさビーフしたたかに笑う。業界3位以下の会社のための商品戦略』(明日香出版社)
『20代でつくる、感性の仕事術』(東急エージェンシー)
『ヒット商品を生み出す最良最短の方法』(こう書房)
『「こち亀」両さんのビジネスをマーケティング的に分析してみた』(総合法令出版)
『倒産寸前だった鎌倉新書はなぜ東証一部上場できたのか』(方丈社)
<Biz Search>
ビジネス書作家・濵畠太が新潟企業の事例研究を通して、新潟ビジネスにおけるトレンドと戦略、地域の課題や未来を発信するレポート。マーケ、ブランド戦略の専門家である同氏が調査員となって、新潟企業のトップを訪問、地方発のイノベーションに斬り込む。
ディレクション 伊藤 ナヲキ