【第二回新潟文学賞受賞作掲載】ライトノベル部門大賞「しゅけん信仰」淡島あわい
今年5月に決定、発表された第二回新潟文学賞の受賞作を大賞、佳作ともに掲載します。
ライトノベル部門大賞
「しゅけん信仰」淡島あわい
水野先輩からメールが届いた時、思わずガッツポーズを決めてしまった。
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『卒業式のあと、渡したいものがあります。川辺のベンチで待っています』
やった! 先輩のジャージはわたしのものだ!
わたしは下駄箱からスニーカーをひっつかみ、足をつっこむと、はやる気持ちで校舎を駆け出した。一目散に河原を目指す。
水野先輩は我が校のスターだ。
可憐なルックスと、明晰な頭脳を持つ彼女の存在感は抜群で、まさに才色兼備のスーパーガール。一挙手一投足が注目の的だった。
「今日、ポニーテールで登校してる! めっちゃ可愛いんだけど!」
とか、
「昨日のシャトルランでひねった足、まだ痛いみたい……」
という情報は、校内放送で流れたかのように隅々まで伝わった。
先生たちも、水野先輩には一目置いている。
もし先輩のお咎めを受けようものなら、それは彼女の支持者全員を敵に回すも同然だ。乱暴な言動で総スカンを食らっている体育の権田でさえ、水野先輩にだけは敬語で話す。
これほど慕われているのに、渦中にいる本人はのんきなものだ。自分の人気をみじんも鼻にかけていない。
むしろ損な役割を進んで引き受け、言いにくいことを真っ先に口にする。一人になることを恐れない彼女は、一匹狼のように潔い。
かと思えば、常識的なところが抜けていたりもして、上級生なのに妹のようにキュートな一面もある。そこがまた、彼女の魅力に拍車をかけているのだ。
だからこそ、卒業証書を手にした彼女には多くの後輩が泣きすがっていた。
「卒業したって死ぬわけじゃないんだから!」
と苦笑いする先輩に、四方八方から抱きつく在校生。涙と洟でぐちゃぐちゃの顔を、造花のついた制服に押しつけて、「先輩行っちゃや
だぁ~!」と駄々をこねている。
ここぞとばかりに甘える奴らが、わたしは少し妬ましかった。
わたしだって水野先輩が好きなのに。先輩への迷惑を考えればこそ、こうして、遠くから眺めているだけなのに。
ビジュが良くて聡明で、優しくて勇敢な、神獣のような女の子。彼女を心の姉と慕っている、わたしのような生徒は多いはずだ。
当然、先輩が志望校に受かったというニュースは、またたく間に広まった。
「当たり前だよね。水野さんくらい頭良かったら落ちるはずないでしょ」
と喜ぶ人もいれば、
「でもそれ、東京の大学だよね? 新潟から出て行くの寂しいな……」
と、しょんぼりする生徒もいた。
そんな全校生徒の憧れの星、水野先輩が、わたしにだけ送ってくれたメッセージ!
うちの高校は体操着がダサい。
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もっさりとした緑一色で、着衣すると人間型のマリモと化す。二の腕に巻き付く反射材は、さながら藻に絡まったビニール紐だ。極めつけには、胸に手のひら大のネーム入りときている。これを着て外を歩けば、自動的に個人情報を晒す仕組みになっている。まず人前には出られない。家の中で着るのも嫌だ。
だから、大半の生徒は卒業と同時に手離す。具体的には、気に入った下級生に譲渡するのだ。
卒業式直後のタイミングといい、人目につかない河原への呼び出しといい、これはもう、ジャージ授与しかありえない。
わたしは胸に「水野」と刺繍の入ったジャージを着て、皆の羨望の眼差しを浴びる自分を想像した。
身体の底からみるみる力が沸いてくる。全速力の脚に、腕に、ソーダ水のようにしゅわしゅわの血が満ちてゆく。
わたしは雪解け水の流れを横目に、息を弾ませて加速した。
春の日差しを照り返す水面が、今日はひと際きらめいて見える。
まるで、水野先輩に選ばれたわたしを祝福するように。
先輩は橋のたもとの東屋にいた。
朽ちた木に特有の甘いにおいを漂わせる、年輪の浮いたベンチ。その木材の端に、ちょこんと腰を掛けていた。
上半身を折りたたむようにして、何やら熱心に地面を見ている。耳に掛けた長い髪が、膝の上で毛先を巻いている。
わたしも、視線を追って下を向く。臙脂色のローファーの先で、白くて細い蛇が一匹、足元をなめらかに横切っていた。
それを、園児のように真剣に見つめる大きな瞳。
「水野先輩!」
期待と興奮で裏返ったわたしの声に、彼女はゆっくりと顔を上げた。
少しつり目の双眸も、ぷっくりとした唇も、ついでに言えば、その奥にある白い歯も大好きだった。
以前、思い切って伝えたことがある。
「わたしは先輩の、狼のように鋭い犬歯が大好きです」と。
今から思えばデリカシーに欠けた発言だった。が、彼女は一瞬、目を丸くしたあと、時間をかけて微笑んだ。暗号でも伝えるような声で、「ありがとう」と返してくれた。
この美麗なる先輩から、おさがりを受け取れるとは!
「わたし……先輩のおジャージをいただけるなんて、すごく光栄です……!」
もじもじとはにかむわたしに、
「え? 何て?」
素っ頓狂な声を上げ、先輩は立ち上がった。
「ですから、先輩のジャージを……」
メールを見て、これは我が校伝統のジャージ授与に違いないと踏んだこと、ここまで全力で駆けて来たことを伝えるわたしの声は、次第
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に小さくなっていく。
先輩は、通学用のバッグの他には何も携えていない。それに、わたしの話を聞きながらにやにやと口角を上げてゆく。終いには大口を開け
て笑い出した。
「うちの高校、そんな変な伝統あったんだ!」
今や完全に自分の勘違いと悟ったわたしは、恥で火照った顔を伏せた。
先輩は尚も笑いながら、茶化すように、わたしの頭を撫で回す。
「がっかりさせちゃってごめんね。でもジャージより、もっといいものをあげるよ」
予想外の言葉に目を上げる。圧が強い愛情表現を続けながら、先輩は奇妙な笑いを浮かべていた。
にやり、と歪めた口の端には、例の犬歯が覗いている。まるで共犯者に向けるような、不敵な笑みだった。
「いいものって……?」
ぐしゃぐしゃになった髪の下から訊き返したわたしに、先輩は一言、付け足した。
「神さま、だよ」
むかしむかし、能登の七尾では年に一人、娘を人身御供として捧げる掟がありました。
ある年、愛娘に白羽の矢が立った父親は、何としてでもこれを阻止したいと考えました。娘を欲しがる神が棲むという社殿に、夜中、こっそり忍び込み、
「越後のしゅけんは、俺がここにいることを知るまい」
と、ささやく声を聞きます。
さっそく越後を訪れ、しゅけんという名の白い狼を探し当てた父親は、娘を救ってくれるように頼みます。
「それは猿神に違いない。奴らのうち、二匹までは噛み殺したが、取り逃がした一匹が能登に潜んで悪事を働いているとは知らなかった。必ず退治してやる」
七尾に着いたしゅけんは、娘の代わりに生け贄用の櫃に入りました。
その晩は激しい嵐となり、吹き荒れる雨風に乗って、凄まじい闘いの叫び声が響き渡りました。
翌朝、社殿を訪れた村人たちは、白い狼と大きな猿の死骸を見つけます。
娘を要求していた神とは猿であり、しゅけんもまた、相討ちとなって果てたことを知ったのです。
人々はしゅけんを手厚く葬り、猿神のことも、祟りを恐れて供養したということです。
「……これが『越後のしゅけん』の物語です。どう思う?」
語り終えた水野先輩は、挑むようにわたしを見た。
「どうって……。まあ、現実のレベルで考えたら、狼が猿を追い払ってくれたから、農家が作物を収穫できて、その家の娘さんが助かった
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、みたいな話でしょうか……」
わたしはためらいながらも、頭に浮かんだことを述べてみた。
現代でも山間部ではよくあることだが、猿は畑を荒らす害獣として人間を悩ませてきた。必然、作物の出荷量は減少し、収入の低下に直結する。
猿神が娘を奪うという筋には、猿による被害のせいで、貧しい家庭が子供を身売りに出さねばならないという背景が見える。伝説の陰には、悲しい現実がありそうだ。
このことを考えれば、猿を退治する狼が英雄視されたこともうなずける話である。
昔話には、狼や犬に肯定的なものが多い。「しっぺい太郎」に「へいぼう太郎」、「早太郎」などと名のつく類似の民話は、日本の各地に存在するから。
『越後のしゅけん』も、そのひとつと言えるのではないか。
そう伝えると、先輩はわたしの手を取った。まるでプロポーズするような、誠意のこもった握り方だ。
彼女の体温、柔らかく包む指の感触に、頭の芯がぼうっとかすんだ。知らず、頬が熱くなる。心臓が早鐘のように鳴り響く。
「やっぱり安藤ちゃんを選んで正解だったな。こんなに賢い子、他にいないよ」
「……わたし、何に選ばれたんですか?」
「しゅけん信仰の、次の信者だよ」
「……??」
頭の上に疑問符を増やすわたしをおいて、先輩は話を続ける。
これは石川県に伝わる猿神退治の概略だ。七尾市では有名な民話で、現在でも毎年、この伝説に由来した青柏祭が行われている。
けれど、しゅけんが去った越後、つまりここ、新潟に残された物語を知る人はほとんどいない。
何でも、しゅけんの死後、彼の帰りを待っていた女性がその霊を慰めたのが、「しゅけん信仰」の始まりらしい。
以来、しゅけんは娘を守る神として、この土地の少女に大切に祀られてきた。
商売繁盛でも、恋愛成就でもない。ただ毎日を平穏に暮らせるようにと祈る。その対象が「しゅけんさま」で、いわば少女の守り神というわけだ。
この信仰は連綿と受け継がれてきた。
経典も祭壇も、戒律も持たない素朴な神さま。
しゅけんさまは少女たちの心の糧となり、幾百年と、大切に守られてきたらしい。
しかし、明治政府が推し進めた神道国教化の影響で、土俗の信仰も締め付けを受けた。早い話、「神さまのリストラ」の荒波が、日本全国に襲いかかったのである。
富国強兵のための中央集権国家を標榜する新政府は、廃仏、神社と、次々に神を迫害していった。当時、強大な権力を有していた仏門だけではなく、の零細な神々にまで、彼らは容赦なかったのである。
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しゅけん信仰も例外ではなく、信者たちは人目に触れぬよう、ひっそりと祈りを続けた。
元々、知る人ぞ知る集団だったのが、明治以降はさらに信者を減らすはめになった。
その結果、信仰する期間を一年と定め、神ひとりに信者一人の、ごく小規模なものになったのだという。
誰にも知られてはいけない。けれど、祈りを絶やしてもいけない。
そんなぎりぎりのところで持ちこたえ、何とか現在まで続いている、秘密の信仰。
そのたった一人の担い手に、わたしが選ばれたというのだ。
「要は、一年だけ神様さまと付き合うと思ってくれればいいよ」
一通り説明した後、先輩はそう締めくくった。
が、「信仰を譲る」と言われたところで、その受け取り方も、伝承の仕方も分からない。
「わたし、信心のかけらもない人間ですし、先輩のあとを継ぐなんて大役、とても果たせるとは思えません……」
「そんなに難しく考えないで。祈り方だって自己流でいいんだよ。一年経ったら、誰か信頼できる人を選んで、今と同じ話をすれば完了だから」
そう言って手を合わせ、「お願い!」と頭を下げる。
大好きな先輩にそこまでされると、これ以上嫌とは言えなかった。
「それだけでいいのなら……」
しぶしぶとうなずいてみせる。
未知の世界へ足を踏み入れるのは怖かった。が、先輩がわたしを後継者として選んでくれたと思うと、天にも昇る心地がする。
もしかしてこれはひっかけでは、と危ぶんだものの、「ドッキリ大成功!」の看板はどこにも見当たらない。どうやらマジなヤツらしい
。
「でも、わたしが一年信仰したとして、その次に誰を選ぶかも責任重大ですよね……。良い人が見つかるかどうか……」
不安を漏らしたわたしに、問題ない、と肩を叩く先輩。
「安藤ちゃんはわたしの狼の徴を、ちゃんと見つけてくれたでしょ。次の子も、そうやって自然に現れるはずだから。心配しないで」
オオカミノシルシ? どういうことだろうか?
首をかしげるわたしに構わず、先輩は嬉々として続ける。
「それに、もしかしたら会えるかも知れないよ」
わたしは言葉の続きを待った。
しかし、光る川に向かって腕を広げ、気持ちよさそうに春の風を浴びる先輩は、それ以上は何も言わなかった。
わたしが考えた自己流の信仰とは、朝起きた時に、
「おはようございます、しゅけんさま」
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と言い、夜寝る前に、
「おやすみなさい、しゅけんさま」
と言って、手を組むことだった。
最初はいかにも「乙女の祈り」的なことをする自分が照れ臭く思えた。が、一か月も続けると、すっかり日常の一部になった。
慣れると欲が出るもので、しゅけん信仰を誰にも知られてはいけない、というルールがもどかしくなる。
わたしはあの水野先輩に選ばれて特別なことをしているのに、誰にも気づいてもらえないというのが、何となく物足りない。正体がバレたらいけない魔法少女も、こんな気持ちなのだろうか?
次第に、わたしは祈る回数を増やしていった。
朝、晩、二度のお祈りだけではない。緊張した時、困った時、自然としゅけんさまのことを思い出したのである。
(しゅけんさま、どうか見守っていて下さい)
そっと手を組んで、彼に話しかけると、心のこわばりはだいぶ楽になる。
わたしには頼る神さまがいるという安心感は、一歩踏み出す勇気に変わった。うつむいていた顔は前を向き、狭まっていた喉からは大きな声が出せるようになった。
これが信仰の力か。
信じる相手がいるというだけで、こんなにも強くなれるのか。
一学期が終わる頃には、しゅけんさまを身近に感じられるようになっていた。
憧れの先輩から伝統を引き継いだという誇りと、「彼の信者はわたししかいない」という自負は、日々の祈りに一層の真心を添えた。
信仰に目覚めたわたしは、他の人の祈りにも敏感になった。
定期テストの直前に、何かブツブツと唱えて、机を軽く叩く生徒。
渾身のギャグが滑った時、カチカチと奥歯を打ち鳴らし、首を横に振る教師。
ステージの袖で出番を待つ間、ボロボロの熊のマスコットを握って、額に当てる軽音部のボーカル。
集中するため、気持ちを切り替えるため、緊張を和らげるため。
皆、独自のおまじないを持っている。
それぞれの心の内に、その人専用の神さまがいるようだ。
意識してまわりを見ると、あの人も、この人も祈っている。
誰もが、誰かの信者だった。
夏休みが明け、文化祭が終わった。
大学進学を目論む生徒は、いよいよ受験を見据える時期になった。
学部の吟味、志望校の傾向と対策、模試の結果の合否判定……。
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頭を悩ませることは多いが、わたしにはもう一つ、真剣に考えるべき事案があった。
しゅけん信仰の、次の担い手の確保だ。
順当に行けば、下級生の誰か、となるのだろう。けれど、わたしには親しい後輩がいない。一年生の頃に所属していた文芸部は、文学感のセンスの違いで部員同士が揉めに揉め、空中分解してしまった。
つまり、わたしには後輩と呼べる存在がいないのである。
強いて言えば、放課後、図書室に行くと必ず見かける人はいる。
靴ひもが青なので、二年生ということは分かる。が、その他は何も知らない。
彼女はいつも、奥の書棚を渡り歩いては、誰も借りないような古い本ばかり読んでいる。
そこが図書室ということを抜きにしても、まとった雰囲気は物静かで、緩慢な所作には気品すら漂っている。その身のこなしは、彼女のクラシカルな趣味と相まって、令嬢のような落ち着きを醸していた。
そう。彼女は本のチョイスでだけではなく、持ち物も渋い。
当事者であるわたしが言うのもあれだけれど、女子高生であれば、もっと華やかなものを好んでも良いはずだ。周囲を好きなキャラクターで固めるとか、推しのグッズを持ち歩くとか。
あの二年生の子は、ある意味で「個性的」だった。
カバンは古い血のようなダークチェリー。ペンケースは褪せた薔薇に似たピンクベージュ。髪を結いあげるゴムは桜色で、リボンもシュシュもつけていない。
装飾のない単色の私物からは、年齢不相応に堅実な印象を受ける。だからこそ、一層の近寄りがたさを感じるのだ。
意を決して、その子をスカウトしてみるか?
……いや。こちらが勝手に目を付けただけで、黄ばんだページばかり見つめる彼女には、わたしなど眼中にないに違いない。
ただ図書室で見かけたからという理由で、「信者になりませんか?」と持ちかければ、怪しい宗教の勧誘と変わらない。警戒されて終わるのがオチだ。
もしかしたら、本との対話を好む彼女の繊細な心に、不審者に遭遇したというキズを残してしまうかも知れない。それだけは何としてでも避けたい。
かと言って、他にしゅけん信仰を任せられるような人が、いるのか、どうか……。
十二月に入り、受験勉強も大詰めになった頃、再び「水野信者」が増殖した。
水野先輩が大学で書いた論文が、脱炭素研究の賞に選ばれたことが、地元の新聞に載ったのである。
先輩に対する尊敬の熱は校内中で再燃し、その火の粉は思いがけない形でわたしに降りかかった。
「安藤さん、水野先輩の連絡先知ってるんだって?」
冬休みを目前に控えたある日、クラスメイトの一人がわたしに近づいた。
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「うちにも教えてくれる?」
そう言って手を合わせ、可愛らしく小首をかしげる。ハーフツインの結び目の、ハートのチャームがチャラリと揺れた。
正直、わたしはこの人が苦手だった。
ローカルアイドルや、ダンス部の部長という華やかな肩書きを持つ彼女。幾人もの取り巻きを従え、クラスの中心に君臨するこの人は、「陰キャ」に分類される生徒をバカにしている節がある。
この子も水野先輩と同じ「人気者」には違いない。しかし、彼女を崇めるのは、権力者に追従する弱い人間ばかりだ。先輩とは根本的に異なる。
何より、先輩の個人情報を勝手に教えるわけにはいかないので、わたしは謝りながらも断った。
彼女は上目遣いで睨んだ後、無言で立ち去った。
(やっぱり先輩に訊いてみて、それから返事をすれば良かったな……)
罪悪感を抱くわたしは、ダンス部部長との仲直りの機会を探していた。
だから、終業式の放課後、彼女から声をかけられた時には、ほっと胸をなでおろした。
「倉庫から運びたいものがあるんだけど、手伝ってくれない?」
笑顔で頼まれたわたしは、もちろん承諾して、彼女のあとをついて行った。
倉庫は、校内の敷地のはずれ、雑木林の中にある。
昼間でも薄暗いのに、十二月の夕方ともなれば気味の悪さはひとしおだ。一人で足を踏み入れるのは心細いに違いない。
わたしは揺れるハーフツインを追いながら、可愛いところもあるんだな、とほほ笑ましく思った。
が、その好意はすぐに撤回することになる。
口車に乗せられ、ありもしない「人体模型」を探すわたしを置き去りにして、彼女は倉庫を出て行った。
……しかも扉に鍵をかけて。
気付いた時には既に遅く、唯一の出入り口をふさがれたわたしは途方に暮れた。
あの弱小アイドルが。性格が悪いのは知っていたけれど、まさかここまでやるとは……。
しかし今は、彼女の復讐を恨むより、ここから脱出するのが先決だ。
教室にカバンごと置いて来たため、スマホも手元になく、外と通信を取る手段はない。扉を叩いて叫んだものの、分厚い鉄壁に遮られ、効果はない。
先週からの大雪で、校庭は白く染められていた。雑木林を覆う雪をかき分けてわざわざ倉庫に来る人など、いるはずもなかった。
わたしは扉にもたれてうずくまった。
制服を通して、背中いっぱいに鉄扉の冷たさが染み渡る。「早くしてよね安藤さん!」と急かされて、コートを羽織る暇もなかったからだ。
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ぶるっと身震いして、手足を縮めた。スカートの膝を抱え、ブレザーの肘を抱き寄せる。
寒い。
刃物のように鋭い冷気に、皮膚の感覚が奪われてゆく。氷水に身を浸しているように、骨の髄まで凍りつく。
真冬の雪国の、真っ暗な倉庫で、暖を取るものもなく一人でいるのは拷問に近い。
わたしはかじかんだ手を組みながら、しゅけんさま……と祈った。
人の悪意にはめられてこんなところにいると思うと、みぞおちが痛むほど虚しくなった。疲れと寒さで眠くなり、まぶたが鉛のように重くなる。
うとうとしながら、遠のく意識の奥で、自分を呼ぶ声を聞いた気がした。
何度も何度も、身を反らせて高らかに叫ぶ、遠吠えだった。
あんまり長く続くので、眠りを妨げられたわたしはイライラしてきた。いくら無視しても、耳を塞いでも、声は少しも妥協しない。
叱るように、励ますように、果てしなく響く。
きっとこちらが応えるまで続けるつもりだろう。
そう悟ったわたしは、胸いっぱいに息を吸った。雪風のような空気が肺に流れ込む。頭の中に雪原が広がり、その果てに銀色の影が見えた。
はっとして、わたしは呼吸を止めた。
渾身の力を込め、一声、鳴き返す。
お・お・お・お、うおーーーーん! と。
途端に、背後の扉が開いた。
背もたれを失って転げ出たわたしを、目を丸くして見下ろす用務員さん。彼女が手にする懐中電灯の光の中で、わたしも呆然と目をしばたたいた。
「あらま。本当に人がいたわ……」
「……?」
「この子が、用務室に飛び込んできたの。今すぐ一緒に来てくださいって、叫びながら」
用務員さんが頭を巡らせ、闇の中の誰かを手招きする。
その人は、雪の上をそろそろと進み出て、ためらいがちに口を開いた。
「あの、今日は先輩、図書室にいらっしゃいませんでしたよね? いつもお見かけするのに、どうかしたのかなぁって心配してたら、雑木林から何か聞こえてきて。それがずっと続くので、気になって……。……狼の遠吠えみたいな、すごい声が、ずっと……」
そう言って、おずおずと顔をのぞかせたのが、あなたでした。
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これが、わたしがしゅけん信仰を担った経緯です。
ここまで読んでくれたあなた。次の信者に選ばれて、不安なこともあるだろうけれど、まあ、気張らずにやってみて下さい。
本当は会って直接説明したかったのだけれど、引っ越しの日にちが早まってしまって。手紙でごめんね。
来週には入学先のクラス分け試験があるので、また勉強するはめになりました。やっと大学受験が終わったのに、まだまだ遊べそうにあ
りません。
でも、訊きたいことがあったら遠慮しないでいいからね。何か分からないことがあったら、いつでも連絡下さい。
下に、わたしの新しい住所とメールアドレスを書いておきます。