【コラム】波乱万丈の半生、田舎暮らしにチャレンジの日々!ガタガタの家屋1年半掛け自ら修復! 今後、古民家に改造し、都会から呼びたいとの夢も描く!

昨年3月に吉川区へ田舎暮らしにやって来た梅田さん、ガタガタの家屋もかなり修復したが、今も修復を続けている

奥さんも自然一杯の暮らしを楽しむ!私の生まれ育った故郷でもある!

東京都杉並区生まれ育った梅田宏さん(53)。東京で運送屋ととんかつ屋を営んでいた梅田さんだが、約10年前、従業員に1億数千万円を持ち逃げされて途方に暮れる経験も、それでもめげず、土地を売り店も手放し何とか返済。その後焼き肉店で働いたが、店長に騙されることも、更に甲状腺を痛める試練にも遭い、まさに波乱万丈の半生を体験した。そんな中、10数年前に結婚した岡崎市生まれの奥さん、好江さん(50)が自然一杯の中で自然とともに暮らしたいとの願望もあり、更に自身の健康のこともあり、田舎暮らしを求めてまだ雪の残る昨年3月、上越市吉川区の中山間地に移り住んだ。

移住したものの、家屋は老朽化しており、ガタガタで住める状況ではなかった。それ故、土台から土間、台所、寝床など1年半掛けて修復に当たった。井戸も使えず、パイプで引っ張るなど悪戦苦闘の日々だった。実は梅田さんが移住した山間の吉川区東寺は、たまたま私が生まれ育った私の故郷でもある。70年以上前には21軒あった集落も今は梅田さん含めて6軒で、しかも一軒は別荘。過疎化、高齢化で将来は消滅の可能性の集落でもあり、私の生家も空き家で、梅田さんの存在はとても有難い。東寺だけでなく吉川区の山間地では既に、集落によっては1軒のみの集落もあちこちで見られる。今回の梅田さんの移住のように、別荘という形ではなく、少しでも都会から永住という形で過疎化に少しでもブレーキが掛かることを願いたいものだ。

梅田さんも少し落ち着いたので、現在介護施設の朝と夕方の高齢者のための送迎運転手として働いている。それでも、空いた時間は家の修復の日々だ。さて、奥さんは家屋の周りにある竹を大いに利用し、竹炭を含んだ石鹸を作ったり、家に生える柿を使った柿渋づくりに取り組むなど、家の回りの竹や植物の加工に余念がない。併せて満喫する田舎暮らしや作った品々を自身のユーチューブで発信する。好江さんは「以前から自然とともに暮らしたい」と思ってきたし、「確かに生活は不便かも知れないが、毎日が楽しい」と声を弾ませるのだ。

私はこの山間地で中学3年生まで暮らした。子供の頃はきたない池で水泳をしたり、豪雪の中でのスキー遊びなどは貴重な子供時代を過ごせたと今は田舎で生まれたことを感謝している。でも残念ながら、進学のためや不便さで故郷を捨てた身だ。それでも今になって親なき後は、出来るだけ家の回りの草刈りは欠かさないし、住んでいないのに約1時間掛けて、耕作放棄地の畑を利用して、昨年からブドウ作りも始めた。そんなこともあり、梅田さん夫婦がこの集落の守り神に思えてならない。

その梅田さんは、「出来たら、トタンを取って屋根を元々の茅葺屋根にして、太い梁を生かした古民家に蘇らせたい。都会から人を呼んで、ワークショップみたいなものを開きたい。出来ればキッチンカーで、妻の作ったものを売れればいいのでは」と夢を語る。私は梅田さんの話を聞いて、ちょっと無理なのではと思ったものの、都会からやって来た梅田さん、しかも波乱万丈の半生を送ったからこそ、田舎暮らしにチャレンジし続ける先に、その前途に幸あれと祈らざるを得ないのだ。

 

竜哲樹
昭和25年新潟県上越市吉川区生まれ、新潟県立高田高等学校卒業。昭和48年3月富山大学文理学部卒業(教員免許取得)。元産経新聞社記者、元上越市議会議員。にいがた経済新聞社顧問。

 

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