【記者ノート】猛暑の中開催の第100回謙信公祭 義を重んじ民のために生きた謙信公役に“マツケン”こと松平健さん登場『出陣じゃー』!

“マツケン”こと松平健さんが謙信公役で出陣行列に登場(山ろく線沿い)

戦国最強の武将と謳われた上杉謙信公の遺徳を偲び、大正15年(1926年)から始まった上越市の謙信公祭が今年、記念すべき100回目を迎えた。23、24の両日に開催され、謙信公役のゲストには“マツケン”こと松平健さんを迎え、23日には猛暑の中、出陣行列と川中島合戦が盛大に繰り広げられた。

なお、地元テレビ局JCVの報道によると、前日に上越入りした松平健さんは玄関で市職員らの拍手の中、上越市役所を訪れ、中川幹太市長から謙信公の愛刀にちなんで名付けられた記念の日本酒『山鳥毛』(田中酒造)が贈られた。囲み取材に松平さんは「義を重んじて民のためにと言う信念を持った謙信公役を演じられることは、大変光栄に思っている」とも話した。その後林泉寺にある謙信公の墓に参ったり、春日山神社でも謙信公祭の成功を祈念するなどした。

初日の23日には春日山城本丸跡では謙信公祭狼煙上げで祭りの幕開けを告げ、13の山城支城群でも一斉狼煙上げが続いた。その後は春日山謙信流陣太鼓の演奏や山形県米沢藩の砲術披露などに続き、上杉軍各隊の武将達が出陣報告、勇壮な謙信公みこし渡御などが春日山神社や林泉寺、山ろく線沿いなどを中心に行われた。

最も盛り上りを見せたのは何と言っても総勢450人余りの“圧巻”の出陣行列であったが、猛暑で例年より1時間遅れの4時半のスタートとなった。上杉謙信公と武田信玄両軍の各武将隊達が行列の途中で、抜刀して「エイ・エイ・オー!」と勝どきを挙げるなどの様々なパーフォーマンスを披露すると、埋め尽くした観衆らから拍手喝采が送られていた。

謙信公を盛り上げようと35年前に地元に誕生した春日山謙信流陣太鼓の演奏(春日山神社)

最高潮に達したのはやはり、“マツケン”こと松平健さんが登場した時で、多くの観光客らの目線も釘付けになり、松平さんが発するパフォーマンスの一言一言に地響きのような大歓声が鳴り響いた。その後春日山史跡広場に移動して、暗闇の中で本番さながらの怒涛の川中島合戦が行われ、“マツケン謙信公”もあの『暴れん坊将軍』を彷彿させる見事な手綱さばきを見せていた。2日目の24日にも、献納米合戦、戦勝を祈願した武てい式、大民謡流しなどが行われる。

今年100回を迎える謙信公祭も当初は、謙信公を偲ぶ地元の祭りとしてスタート、その後も戦中・戦後も小規模ながらも開催が続けられ、そしてNHK大河ドラマ『天と地と』の放映で大きく拡充され、同じく大河ドラマ『風林火山』の“ガクト謙信”によって全国から注目されるイベントに成長した。同祭の実行委員会では同祭の開催のたびに、ゲスト頼りの謙信公祭ではどうなのか? だが地元だけでの開催の場合どう盛上げていくのか? などの議論が繰り返されて来た。それにしても100年続けられた“宝物”の謙信公祭であるが、5年後には謙信公生誕500年を迎えることもあり、そうした節目におけるゲストの招待などを巡って、今後も関係者による議論が続くことになろう。

 

竜哲樹
昭和25年新潟県上越市吉川区生まれ、新潟県立高田高等学校卒業。昭和48年3月富山大学文理学部卒業(教員免許取得)。元産経新聞社記者、元上越市議会議員。にいがた経済新聞社顧問。

 

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