【ジープ島からの贈り物】第7話 吉田さんの故郷へ(新潟県上越市)渡会和馬
(編集部注)この原稿は赤道直下のミクロネシア連邦チューク州からインターネット回線を通じて日本に送られています。

旅館にて
移住していたフィジーから帰国して時が経ち2020年の年末にふと、ジープ島のことを想い出す。
そろそろ、いけるかもしれない。そんな想いでジープ島のことを改めて調べた。
ジープ島のホームページ上に吉田さんがフェイスブックを始めたという情報が載っていてすぐにフォローをした。

吉田さんのFacebook
1分もせず承認していただき心が踊った。そして、今までのお礼を伝えたく2013年に買ったジープ島の本の写真と本のお陰で世界を旅することができたと感謝を送った。
5分もせずに返事が来た。
「こちらこそありがとう。その本、4隅がボロボロになっているけれど世界に一緒に連れてってくれたのかな。」と
その本は、僕のバイブルになっていた。世界も連れて周った。辛い時に何度も読み返して心を奮い立たせていた。
そんな想いを伝えると吉田さんからランチでもしようと誘いがある。
最初は、どこで、、、と考えた。
コロナ禍でもあったため、ジープ島に行くことは難しそうだった。

初めて買った本
しかし、吉田さんもコロナの影響で日本の故郷である新潟県の上越市に帰国しているということで、翌年2021年1月17日に新潟に足を運び3日間を共にした。
チューク諸島(キミオさん)の歴史。ジープ島の吉田さんの物語。
それは、僕にとって涙が止まらない程の人生経験で、思わず吉田さんにジープ島の”後継者”にさせてくださいと伝えたことを鮮明に覚えている。

吉田さんと行った花火大会

高田城址公園の観蓮会
その1年後には岐阜での仕事を辞めてアメリカを周遊しそのまま新潟に移住した。
最初、新潟に入った時は参加費1万円のイベントにも参加できないくらいで、家も仕事もお金もないところからの不安なスタートだった。
しかし、吉田さんは言った。「それでいい。ジープ島は何もない状態でスタートしなければならない。」
そんな1からのスタートだった新潟では、吉田さんのサポートを始め僕を雇ってくれたエステサロンのオーナーや、吉田さんが行っている自然塾でお会いした多くの方々とのご縁と支えで生き抜くことができた。
2023年3月27日にジープ島に入る前に開いてもらった送迎会では、100人弱の方に集まっていただき盛大に見送っていただき感じたことがある。

吉田さん、僕、サロンオーナー

ジープ島(カメラマン宮地岩根さんの写真)
人は、人によって磨かれる。
確かに苦しいこと辛いことも沢山あった。けれど諦めず夢に向かって人を愛して生き抜いた先に見た景色は、喜びや幸せで溢れていたように思う。
吉田さんにこんなことを教えてもらった。
人には、生まれ故郷があり育った場所があるそして、心のふるさとを求めているのである。
僕にとって新潟は、心を育ててくれた大切な場所である。