【梅川リポート12】地域に根差す110年企業、笠原建設(糸魚川市)の挑戦、土木・建築・環境・地域事業で築く持続可能な未来

笠原建設本社(新潟県糸魚川市)

株式会社笠原建設(新潟県糸魚川市)は、創業110年を超える老舗の総合建設会社である。大正2年(1913年)、笠原仙蔵氏が個人事業として起業したのを原点に、地域の社会資本整備を支え続けてきた。現在、同社は土木、建築、環境、地域事業の四本柱を掲げ、多角的な経営を展開している。

「根の深い企業でありたい」。同社の鈴木秀城代表取締役社長はこう語る。政治や経済情勢に左右されず、社員が安定して働き、地域とともに発展することを理想に掲げている。

同社の基盤は長年にわたり公共工事であったが、近年は民間建築にも力を注いでいる。新潟市に設けた営業所では住宅のリフォームや新築にも対応し、地域住民の生活に寄り添う姿勢を示す。これまで手がけた公共建築には学校や体育館、マリンドリーム能生、市役所庁舎などがあり、地域のランドマークを形づくってきた。

一方で、生産、物流施設や店舗などBtoB向け建築も増えている。赤倉では外国人向けの大型宿泊施設に携わるなど、地域資源を活かした案件にも取り組んでいる。副社長の世代交代も進み、民間分野を積極的に開拓しているのも特徴だ。

技術職と技能職を併せ持つ組織体制

笠原建設の大きな特徴は、技術職と技能職の双方を正社員として抱える点にある。現場監督や設計・予算管理を担う技術者と、重機オペレーターや型枠・鉄筋等の施工を担う多能工としての技能者が一体となり、自己完結的な施工体制を構築している。

技能職は80名余を数え、多くが新卒で入社している。現場力を内製化することで、災害発生時の迅速な対応や自社所有の重機を活かした機動力を発揮できる。一方で、土木では外注に過度に依存しない体制ゆえに、仕事が減少する局面では人員維持のコスト負担が課題となる。それでも「災害対応力と一貫施工の強みは代えがたい」と社長は語る。

人材不足が深刻化する建設業界において、同社は採用を止めない姿勢を貫いてきた。厳しい時期にも新卒採用を継続し、人材投資を怠らなかったことが現在の強固な組織基盤につながっている。

女性活躍と働きやすさの追求

建設業界は男性中心のイメージが強いが、笠原建設では女性社員の割合が比較的高い。背景には、建設ディレクターなどバックオフィスから現場へと活躍の幅を広げた女性社員の存在がある。育児休業制度を整備し、今は出産後にほとんどの社員が復職する。

「一度辞めても、もう一度戻りたいと思える会社でありたい」。鈴木社長はそう語り、UIターン人材の受け入れにも積極的に取り組む。地方で暮らし働く魅力を打ち出し、人口減少時代においても人材確保の工夫を重ねている。

環境分野では、リサイクルセンターを運営し、コンクリート廃材を再資源化する取り組みを進めている。砕石を再生する際には、重油ではなく電力を用いるなど環境負荷低減にも配慮する。また、糸魚川市内最大級のメガソーラー発電所を運営し、再生可能エネルギーの供給にも貢献している。

地域事業としては、桜の植樹活動を継続しており、200本を超える桜並木が育ちつつある。新入社員が記念植樹を行う伝統は、地域住民の憩いの場を創出し、企業文化としても根付いている。

コワーキングスペースで地域活性化

新たな挑戦として、同社は糸魚川市内でコワーキング事業を支援し地域のビジネスの活性化に寄与している。旧北越銀行跡地を活用し、外部運営会社と連携して地域に開放。地元木材を活用した設計を採用し、働き方改革や地域交流の拠点として活用されている。まだ入居テナントは限られるが、将来的には地域活性化のハブとなることが期待されている。

公共事業の縮小や資材高騰など、地方の建設業界を取り巻く環境は厳しい。地方では民間投資も乏しく、採算性の確保が難しい現実がある。それでも笠原建設は「地域に根を張り、社員の生活を守る企業でありたい」との理念を掲げ、堅実な経営を続けている。

「地域が元気でなければ企業だけ発展することはない。共に発展していく存在でありたい」。社長の言葉には、長い歴史を背負う企業としての覚悟と、地域社会への責任感がにじむ。

笠原建設は、大正期の創業以来、時代の波を越えて地域の暮らしと共に歩んできた。土木・建築・環境・地域事業の四本柱を軸に、女性活躍や人材育成、環境配慮、地域貢献といった多面的な取り組みを展開する姿は、建設業界の枠を超えた存在感を示している。

創業から1世紀を超えた今、同社の挑戦は「次の100年」に向けた新たな歩みを始めている。

日精サービス工事

能生体育館工事

筒石川砂防堰堤工事

姫川急流河川対策工事

 

(文・写真 梅川康輝)

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