【記者ノート】電気炉のパイオニア・タナベが次の100年へ、「世界挑戦」を続ける田辺郁雄社長

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IBM出身だから、新時代のニーズに即対応
もともと広島県比婆郡出身の田辺家だが、戦争時代経て、糸魚川市青海地区の株式会社デンカとの縁で、糸魚川市(青海)で大正11年会社(鉄工所)を興したのが曾祖父(勘之助)だ。既に100周年を越えた㈱タナベだが、本格的に電気炉製造を始めたのは祖父(清)の時代からで、その弟(田辺源之助)は田辺建設株式会社や田辺工業株式会社の創業者でもある。
株式会社タナベの田辺郁雄代表取締役社長は4代目であるが、幼少期から東京で過ごし、小・中・高校そして大学も東京で暮らしたので、郁雄社長は「私は東京での生活が長かった。時々糸魚川に来ることもあったが、大学卒業後もIBMに就職し、卒業6年後の30歳近くになって、㈱タナベに入った」と当時を振り返るとともに、「合金鉄を扱う電気炉製造ではあるが、IBMにいたからこそ、これからのニーズとなるIoTやAIの重要性・必要性もよく理解出来る。そうした時代のニーズも捉えていきたい」とも強調する。

株式会社タナベの田辺郁雄代表取締役社長
カーボンニュートラルの環境市場へ技術開発も
郁雄社長は「取引先のニーズに応えるべく、電気炉の技術開発を懸命に続けた。自社開発の技術が評価されたからこそ生き残ってこれた。専門的な話になるが、PWTF溶融固化設備に伴うロックウール用電気炉や電気抵抗式灰溶融炉、バーナ式灰溶融炉設備、ロータリーキルン、炭化タングステンの焼成などを手掛けて来た」と話す。
さらに、地球温暖化や気候変動リスクへの対策として、カーボンニュートラルや一部原子力を含む環境市場に向けた技術開発にも積極的に取り組んで来た。高需要な電池材料向けの製造設備として、リチウムイオン電池原料用ロータリーキルンの納入などにも力を入れた。
株式会社タナベの「糸魚川から世界へ」への評価定着

同社の社員
株式会社タナベの経営方針は一貫して海外への輸出・納入に積極的に取り組んで来たことが、他社との違いかも知れない。韓国やフィンランド、フランス、中国、インド、南アフリカ、アメリカなど30カ国以上に納入して来た。特に㈱タナベが世界の合金鉄生産をリードするアメリカへのプラント輸出を実現したことに、当時無名の日本企業の進出に注目が集まり、アメリカの業界紙から「リトルジャイアント」と評価され、これを皮切りに国際部隊での引合いが急増したと言う。
郁雄社長は「タナベの炉が世界的ブランドへ成長したことは大変嬉しい。と言うよりも、海外へ行かないと会社の将来がダメになってしまう。日本はどんどん人口が減るとともに、商売のパイも小さくなっている。現在は売上のマックス6割は海外向けであり、今後はもしかしたら国内2割で海外が8割になるかも知れない。しかも欧米より東南アジアが増えていくのでは」と展望する。
『熱技術』を磨き、幅広い産業に貢献したい
大正11年創業だから、2022年に創立100周年を迎えた。当初は㈱デンカの所有する電気炉のメンテナンス事業からスタートし、その後自社電気炉メーカーに転身、各種工業炉を幅広い産業を対象に提供・貢献して来た。一世紀に渡り培ってきた「熱技術」を時代のニーズに合わせ、様々な形に応用・活用して来た。その間顧客からどんな細かな要求にも応えられる対応力こそ、海外からの企業からも評価され、世界中からの受注に繋がった。
郁雄社長は「100周年を機に、今後はただ規模拡大だけでなく、『経営の質の向上』にしっかり取り組んでいきたい。現在の厳しい世界情勢下において、株主・顧客・従業員・取引先・地域社会・行政機関などステークホルダーの皆様と共に、改めて新たな100年に向けて170人の社員とともに、更なる技術力を磨きながら、前へ前へと歩んでいきたい」と語る。

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竜 哲樹(にいがた経済新聞顧問)
昭和25年新潟県上越市吉川区生まれ、新潟県立高田高等学校卒業。昭和48年3月富山大学文理学部卒業(教員免許取得)。元産経新聞社記者、元上越市議会議員。にいがた経済新聞社顧問