【ジープ島からの贈り物】第8話 いざジープ島へ(10年間の想い) 渡会和馬

(編集部注)この原稿は赤道直下のジープ島からインターネット回線を通じて日本に送られています。

ジープ島へ

2023年3月27日。僕は初めてジープ島に辿り着く。

2013年に手に取ったジープ島の本を読んでから約10年の歳月を超えて叶えた大きな夢だった。

嬉しかった。ジープ島が見えた時は、何とも言えない気持ちだった。嬉しい、幸せ、喜び。

いや、今までの人生の中で苦しかったこと辛かったことが全て報われた様な瞬間だった。

ありがとう。心の底からそう感じた。

とはいえ、安心する暇もなくスタッフとして入りすぐに色んなことを目で見て真似していた。叱られることも沢山あった。吉田さんやリピーターさん、現地のスタッフ(ダイブショップスタッフ、ジープ島のママ,リペルやチュニオ)の姿を見て覚えていく日々を過ごす。

実は、吉田さんと初めて一緒に入島した時は、本当は1週間や2週間ほど教えてもらえると勝手に思っていた。

しかし、僕が入島して2日後にはボートに乗り吉田さんは振り帰ることなく日本に帰国された。

僕は、その大きな背中を目に焼き付けていた。

10年前に手に取った本

ビーチクリーン

180°の虹とジープ島

正直、不安だった。けれど今、振り返ると自分がやるんだ。自分でやるんだという。意気込みがなければここまですら来れなかっただろう。

信じていただいたことを嬉しく思う。ジープ島の仕事は、お客様のお出迎えからお見送り、海のアクティビティから島でのケア衣食住まで全てを行う。

体力、気力も全てをいつも使い切る。これは僕の癖だろう。

僕がこのチューク諸島とジープ島で初めてダイビングをした時の話し。

この場所は、世界1のダイビングスポット(レッグダイブの聖地)になっており世界中からお客様が来る。

その中でも富士川丸というタイタニックのロケ地にもなったこの沈没船は、とても有名でチューク諸島の海を世界1にしたレジェンドダイバーで現地人でもあるキミオ•アイセックさんのメモリアルプレートが船の甲板に埋められ飾られている。

吉田さんの友人であり恩人にあたる方である。

僕は、その富士川丸で初めてダイビングをしてキミオさんのプレートを見た時に吉田さんから話しを聴いていたこともあり涙が溢れた。

旅をしている時に船の上でオーロラを見た時や8時間かけて歩いて辿り着いたマチュピチュの渓谷を見下ろした時に流れた涙のようだった。

僕は、ジープ島に来るまでに10年間かかってしまった。

しかし、この想いは今でなければ感じることができなかった想いであり感情なんだと心の底から感じた。

夢は、大きければ大きい程いい。僕の10年間、いや人生の全てがかけがえのない瞬間に変わった。

吉田さんに出会いキミオさんを知りこれからは僕が語り部となりジープ島を守っていく覚悟を決めた。

受け継がれる意志の物語りを僕が紡いでいく。

吉田さんとTara

富士川丸 photo by 宮地

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