【糸魚川おまんた祭りが来夏で50周年】市民の輪・糸魚川の和再び、3,000人の踊り復活へ
新潟県糸魚川市の夏の風物詩「おまんた祭り」が来夏で開催50周年を迎える。かつては3,000人を超える市民が糸魚川駅前ロの字商店街(駅前、本町、白馬、中央の各通り)を囲むように踊り、市民の絆を象徴する行事として親しまれてきた。近年はコロナ禍や糸魚川大火の影響で規模縮小を余儀なくされていたが、実行委員会は節目の年に合わせ、再び3,000人規模の「大市民流し(大民謡流し)」の復活を目指す。
糸魚川青年会議所発祥 「神の宿らない祭り」
おまんた祭りは、約半世紀前に糸魚川青年会議所(JC)が中心となって始まった。市民が主役となる“神の宿らない祭り”として企画され、宗教色を排した「民間主導の祭り」であることが特徴だ。名称の「おまんた」は、糸魚川地方の方言で「あなたたち」を意味する。「おまんた、こっち来なれ」という呼びかけの言葉から取られ、市民の交流を象徴している。
メイン行事の「市民流し(民謡流し)」では、糸魚川駅前のロの字商店街(駅前、本町、白馬、中央の各通り)を、市民がぐるりと1周輪を繋いで踊る。最盛期には踊り手だけで3,000~4000人が参加し、統率の取れた4列縦隊で、陽気な音頭にのって踊り進む壮観な光景が広がったという。現在は約1,500人規模にとどまっており、実行委員会の松澤克矢(行政書士)さんは「再びあの頃の輪と和を取り戻したい」と語る。
コロナと大火、そして再出発
近年、糸魚川市中心部では9年前の大火や新型コロナの影響で、祭りの規模が大きく制限されてきた。密集を避けるため市民流し(民謡流し)は一時中止となり、地域のつながりが希薄化してしまったとの声もある。
松澤さんは「コロナで人が集まれなくなり、祭りの意味をあらためて考えさせられた。地域を繋ぐ絆の象徴として、50周年にはもう一度みんなで大輪の輪を繋ぎたい」と語る。おまんた祭りの日には、かねてより各地区の子ども神輿(みこし)や太鼓隊、金管バンドなどが会場を賑わせ、最近ではダンスチームやチアリーディングクラブなどの新しい世代のパフォーマンスも加わって、難しい仕来りや儀式のない、誰もがやりたいことが実現できる場としての多様性を増している。
「地域や世代を超えた『市民総参加』がこの祭りの魅力だ。街中の中心市街地から谷合の集落まで、そして、子どもから高齢者まで笑顔で踊り集う姿を見たい」と話す。来年の50周年に向けては、半世紀の時を超えて、繋がる広がるおまんたの輪(和)」をテーマに掲げている。
「糸魚川おまんた囃子」の誕生と三波春夫の縁
祭りの象徴である「糸魚川おまんた囃子」は、歌手の三波春夫さんが作詞作曲し歌唱した。糸魚川の名所や文化風習などが歌詞の中に盛り込まれ、また、かつてレコードとして各家庭に配布されたおかげで、市民なら誰もが口ずさめるほど郷土の名歌として浸透している。そしてその遺志を受け継ぎ、現在は娘の三波美夕紀さんが事務所を引き継いでおり、毎年、おまんた祭りの際には温かいメッセージや熱い激励をくれている。
「三波さんがこの歌を『おまんた囃子』として全国に広めたことで、この祭りが市民の誇りとなり文化になった。50周年ではその原点にも触れたい」と語る。知的資産に十分配慮しつつ、遺る映像の放映や音源の再活用、各種記念展示等も検討されているという。
祭りは毎年、実行委員会が中心となって運営されている。事務局は通年で借り上げている糸魚川駅前のヒスイ王国館内にある一室に置かれ、4月から8月の準備期間にフル稼働する。実行委員会には各地区の区長や各団体・企業代表者らが幹部に名を連ね、ボランティア、地域・団体からの人員も多く携わる。また、立ち上げのきっかけとなった糸魚川青年会議所(JC)の若人のチカラも非常に大きい。運営資金の約半分を市の補助金、残りを企業・個人の協賛金で賄っている。協賛は1000円から数十万円まで幅広く、郷土の経済を支える約500の企業や商店が協力している。こうして集められた資金は会場の設営装飾や電気・音響設備の取り付け、参加各地区への補助・送迎、ゲストの招聘など広く運営費として使われている。
広域連携へ、白馬との交流も
糸魚川市は長野県白馬村と地理的に近く、糸魚川青年会議所を通じた交流も深い。かつて白馬の観光客を対象に、夕食難民対策として糸魚川までバスを運行する社会実験を行い、JC全国大会でグランプリを受賞したこともある。
「白馬とは長い付き合いがある。観光の面でも刺激を受けている。両地が相互に持つ強みで補完し合って広域連携の輪をさらに広げていきたい」と関係者は話す。現在、白馬では外国人観光客が急増し、ホテルや別荘の建設ラッシュが続く。糸魚川からも視察団が訪れ、観光戦略やまちづくりのヒントを共有している。
「おまんた祭りも糸魚川地域の枠を超えて交流を促す観光資源として、まだまだ成長できる可能性があるのではないか」と実行委員は期待を寄せる。
「おまんた」は地域連携の象徴
ともあれ、祭りの原点には「地域間交流の促進」という目的がある。当地は糸魚川ジオパークという言葉に象徴されるように急峻な地形で各集落同士が分断されており、当時は交流もあまりなく、併せて度重なる自然災害により市況もヒトの心も著しく停滞していた。そこで「市民の心を一つに繋げる祭りが必要である」との発想から生まれたのが、当おまんた祭りである。
かつては前夜祭として街中の住民が各地区集落を訪れ、逆に翌日の本祭では各地区集落の住民が市街地に出向いてくるという双方向の交流も行われていた。現在ではその形は影を潜めたものの、『おまんた祭りは地域間交流の場である』という理念や認識は今も変わっていない。例えこの先、おまんた祭り自体がカタチや内容を大きく変えることになってしまったとしても、この実行委員会の組織体制や地域連携のハブとしての機能は遺していかなければならないと松澤さんは語る。


