【梅川リポート23】地域の元気が企業を強くする 大島誠氏講演、上越発「0をつくる経営」を語る

株式会社北信越地域資源研究所(新潟県上越市)が運営する創業支援拠点「フルサットアップス」が上越市のJM−DAWN(上越妙高駅西口)でこのほど開催した「上越妙高ネクストアップフォーラム2025」
地域の活力を高めることが企業の持続的成長につながる――。株式会社北信越地域資源研究所(新潟県上越市)が運営する創業支援拠点「フルサットアップス」が上越市のJM−DAWN(上越妙高駅西口)でこのほど開催した「上越妙高ネクストアップフォーラム2025」で、新潟県上越地域で複数事業を展開する大島グループ代表の大島誠氏が地域経済と企業経営の関係について語った。
教員から家業への転身、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、NPO法施行、地域紙の再建など、自身の経験を通じて導いた経営観の中核は「地域を元気にすることが、結果として企業の価格決定権と競争力を生む」という一点にある。
教員から家業へ、28歳の決断
大島氏は新潟県上越市吉川区で生まれた。農家の三男として育ち、大学卒業後は5年間、教員として勤務した。学校現場が荒れていた時代で、昼夜を問わず働く日々が続いたという。その後、28歳で婚家の家業である大島グループに入社した。「教員を続ける選択肢もあったが、『30歳を過ぎてから商売の世界に入るのは遅い』と兄から助言を受け、決断した」(大島氏)。
ケーブルテレビ事業、現場からの再出発

講演する大島グループ代表の大島誠氏
入社当時、グループの中核企業の一つであるケーブルテレビ事業は、経営的に厳しい局面にあった。ケーブルテレビ自体が一般に認知されていない時代で、事業の継続すら危ぶまれていた。大島氏は、ケーブルテレビの工事会社で一社員として現場に立ち、7年間にわたり電柱に上り、工事作業に従事した。地元の電気工事店が工事を請け負わなかったため、工事を自前で担う必要があったからである。
バブル崩壊が生んだ「価格決定権」という発想
転機の一つが、1990年代前半のバブル経済崩壊である。住宅着工件数の減少により、下請け企業は真っ先に仕事を失った。大島氏は「不況になっても切られない会社であるためには、価格競争から脱し、他社が持たない技術や知恵を持つ必要があると考えるようになった」と語る。この時期に芽生えたのが「価格決定権を持つ経営」という発想である。
青年会議所で学んだ組織運営と限界
同時に、地域経済への問題意識も強まった。日本全体が不況でも、地域が元気であれば仕事は生まれるはずだと考え、上越青年会議所に入会した。約10年間活動し、組織マネジメントを学んだ。最大で160人規模の組織運営を経験し、社員教育の場としても有効であると評価している。一方で、「青年会議所の活動だけでは町そのものは元気にならなかった」と振り返る。
ナホトカ号事故が気づかせた地域の底力
地域を見る目を大きく変えた出来事が、1997年1月のロシア船籍タンカー「ナホトカ号」重油流出事故である。日本海沿岸に大量の重油が漂着し、上越地域にも被害が及んだ。当時、青年会議所理事長であった大島氏は、全国のネットワークを生かしてボランティアの受け入れ調整にあたった。延べ約2万5000人が参加したという。
NPO支援で見えた「地域を動かす条件」
この経験から、大島氏は「上越には本来大きなエネルギーがあるが、それを引き出す仕組みがないと実感した。その仕組みの一つとして、1998年12月のNPO法施行を機に、仲間とともに、くびき野NPOサポートセンターを設立。市民団体の広報支援や活動拠点の提供を行った。調査では、団体が活動を活発化させるために必要な要素として、広報手段、活動拠点、が上位を占め、資金は3番目だった」という。
この取り組みにより、上越地域では短期間でNPO法人が100を超え、人口比で全国最多水準となった。地域に眠っていた力が可視化された結果であり、大島氏は「地域が元気になれば、下請けに甘んじていた企業にも仕事が回る」との確信を強めた。
地域新聞社再建と「応援団」への転換
その後、大島氏は経営危機に陥っていた上越タイムス社の再建にも関わることになる。役員会で廃業も検討されたが、若手に任せてみようという判断から、経営を任された。従来の行政批判や事件事故中心の記事から方針を転換し、地域で頑張る人や企業に光を当てる編集方針へと舵を切った。「地域の応援団」を企業理念に掲げ、読者が新聞を読んで元気になることを目指した。
「0をつくれ」 社長を育てる思想
現在の大島グループの経営基本方針は三つある。第一は「収益性と社会性の両立」。利益のみを追求せず、社会的意義を伴う事業であることを重視する。第二は「独創的な市場の開拓」。企業規模の拡大よりも、競合のいない分野で自ら価格を決められる事業をつくることを重視する。第三は人材育成であり、社員から社長を輩出する仕組みづくりだ。
グループ内ではこれまでに12人の社長を社員から輩出した。若手に対して大島氏が繰り返し伝えるのは「0をつくれ」という言葉である。既存の市場で0から1を生む前に、そもそも人や事業が集まる「素地」をつくることが重要だとする考えだ。
人が集まる「素地」から事業は生まれる
この思想は、上越市仲町地区での取り組みに表れている。「夜の街として知られる同地区は、昼間の人通りが少ないという課題を抱えていた。大島グループは、昼間に人を呼び込むため、茶屋や民泊、コワーキングスペース、宿泊施設などを段階的に整備。障害者就労と連携したチョコレート工房も開設した。結果として日中の来訪者数は約5万人規模に増加し、さらなる施設整備で10万人規模を目指している」(大島氏)。
大島氏は「0がなければ1も生まれない」と強調する。地域に人が集まる場をつくることで、新たなビジネスの芽が自然に生まれるという考えだ。和装レンタルなど、次の事業構想も、この流れの中から生まれている。
【記者メモ】
「私は起業家という意識でやってきたわけではない」。講演の終盤、大島氏はそう語った。これまでの取り組みはすべて延長線上にあり、地域を元気にすることを考え続けた結果だという。地域経済と企業経営を切り離さず、「0をつくる」行動を積み重ねる姿勢が、上越発の独自経営モデルを形づくっている。