【ジープ島からの贈り物】最終話 ジープ島物語 渡会和馬
(編集部注)この原稿は赤道直下のジープ島からインターネット回線を通じて日本に送られています。

吉田宏司さん(写真中央)との約束
僕がジープ島に入る時に吉田さんと約束したことがある。それは、3年間は何があってもジープ島で過ごすということだった。そして、今月でその約束を果たすことができてとても嬉しく思う。
吉田さんも命をかけた3年間を乗り越え、ジープ島を作り上げてきた。吉田さんはこの3年間がこれからのジープ島生活で、他の誰も揺るがすことができない自分の土台になると教えてくれた。
僕なりに3年間を振り返ろうと思う。1年目は、”感謝”の1年だった。とにかく必死で何も分からなかった。信頼もなく経験もない中で、とにかく言われるがままに動いた。理解できなくて、悔しくて泣いた日もあった。現地の人にお客様に呆れられて、申し訳なく苦しむ日もあった。それでもジープ島に来られたことに感謝の気持ちが溢れていて、心も体も夢中でどうにかできると歩んだ1年目の日々だった。
2年目は、”謙虚”に生きた1年だった。現地人からもお客様からもTaraと呼ばれることが増えた。出来ることも周りに人が増えて来たことも嬉しかった。
しかし、それと同時に別れも増え、やれることの多さから心も体も不調を度々引き起こし、スタッフやお客様に助けられる日々を過ごした。2年目の最後は、現地のオーナーであるグラッドヴィン・アイセック(通称アッピンさん)と一緒に日本に行くことができて、とても嬉しかった。1人では、生きていけないと心から謙虚な想いが生まれた2年目の月日だった。
3年目、”忍耐”し続けた1年だった。疲れの蓄積からなのか。心は何も感じなく体も動かない日々が多かった。嘔吐から始まり鼻血が止まらず、気が付けば元々細いのにそこから5kg以上痩せていたように思う。

振り返り

葛藤し、願った日々
ただ、その時に得たことがある。どんなに苦しくても悔しくてもこの場所にいたいと想えたこと。そして、その先に必ず大きな喜びがあるということを知った。
日本のTVでジープ島の全国放送があった。皆さまのお陰でとても大きな反響があった。そして、吉田さんと同じように大切な1匹のイルカに出会えたのである。

イルカのアル
人生でもジープ島の3年間でも分岐点や糧になることを想い出すと苦しく辛かったそんな時期が多かったように思う。それは、決して悪いことではない。
僕は、多くの人生の苦難を乗り越えてジープ島に辿り着いた。その時に心から過去の全てに感謝ができた。だからこそ、このジープ島でも同じ様によかったと心から未来に希望を持てる。
吉田さんから、”Taraが1番苦労を重ねて欲しい”と言われたことを覚えている。ジープ島に来て欲しい人に来てもらうために、足を運び想いを伝える。ジープ島に来てもらい心の底から喜んでもらう。そして、その人が喜びを大切な人に伝えその人達がまたジープ島へと足を運ぶ。そうやって吉田さんは、ジープ島を誰もが認める世界一の絶景にした。間違いなく疑う余地のない、真実の人であり島である。
吉田さんに教わった。人として大切なことは、感謝・謙虚・忍耐であるという言葉とこの3年間の経験を忘れずに僕も真実といわれる様な存在を目指していきたい。僕1人の命でできることには、きっと限りがあるだろう。それでも100年前からこの場所で紡がれて来た内田さん、キミオさん、吉田さん、の想いの軌跡。ジープ島の海、星空、イルカ、虹、絶景の奇跡。
歩んできた軌跡こそ人生の奇跡だと、教えてくれた吉田さんが創り出したジープ島を僕が引き続き未来へ紡いでいく。そして、後継者となりジープ島からの贈り物である”心”を届け続けていく。
これが僕のジープ島物語である。

僕のジープ島物語