【これが新潟最強企業】ナミックス・小田嶋壽信社長に訊いた、「強い会社」の現代スタンダード

新潟市北区に本社を構えるナミックス株式会社
新潟県内にも全国的に有名な大企業は多く存在する。しかし広く一般に知名度のあるどの県内企業よりも、世界的に高い競争力を有し、持続的な成長を続け、なおかつ経営の安定感に秀で、地域社会への貢献度も篤い新潟発祥の企業、と言えばナミックス株式会社(新潟市北区)で異論がないのではないか。
ナミックスという会社は意外なほど「(リザルトに比して)本質的な知名度がない」と記者は感じる。それはBtoB(企業間取引)企業の宿命的なものであるのだが、小売店に並んでいるような商品を製造販売しているわけでもない上に、新潟におけるビジネスがほぼゼロで顧客構成比が海外9割というところに起因するのだろう。その一方で、新潟県内のあらゆる福祉・地域活性事業への協賛を惜しまない姿勢は知られ、多くの県民は同社のロゴを頻繁に目にしているはずだ。
ナミックスは最先端のエレクトロニクス材料分野で、オンリーワン&ナンバーワンの技術と実績を持つ会社だ。エレクトロケミカル、半導体や電子部品などの液状封止材における世界トップシェア、世界21カ国850件以上の特許登録・26カ国で商標登録を保有するグローバル企業。特に「導電」と「絶縁」という相反する技術を両立する強みがあり、このコアコンピタンスを武器に、半導体や電子部品材料という地政学や国家間の安全保障にも影響を及ぼすようなグローバル市場で圧倒的な地位を築いている。

2024年には米インテル(Intel)と台湾積体電路製造(TSMC)の両社から優秀サプライヤ表彰を受けている。ちなみにIntelの表彰企業は全世界で37社(うち日本企業11社)、TSMCは27社(うち日本企業14社)。Intel、TSMC両社から表彰された日本企業は村田機械やディスコ、東京エレクトロンとナミックスの4社のみ。そういうレベルのメーカーが、新潟を拠点にしている。
同社は1946年に塗料製造会社として創業。1960年代には電子部品のセラミックコンデンサ用の絶縁塗料に着目し、エレクトロニクスの分野へ進出した。1980年代にはエレクトロケミカル材料に集中し、半導体周辺材料分野にも参入。2000年代に入ると中国に工場、北米、欧州、シンガポールなどに販社を開設し、グローバル市場に打って出た。
現在は約800人の社員、うち3割は技術者で、毎年平均で売上の10%を研究投資に回している。そうした研究開発型の企業土壌は創業以来変わらず、今では年間約300本の開発案件を手掛けている。2022年には、本社機能と工場の集約・増強を行い総工費約200億円で新社屋、新工場を竣工。また2027年頃夏の竣工を目指して新潟市西区的場に予算約300億円の新工場の造成計画も進んでいる。
研究開発や設備への先行投資を積極的に行う社風にして、現在はほぼ無借金経営。これほど「強い経営」があるだろうか。
2006年に就任した小田嶋壽信代表取締役社長は3代目の経営トップとなる。小田嶋社長にナミックスの「これまで」「今」「これから」を聞いてみた。
大手の参入障壁分野に敢然と立つ
―― 御社が手掛ける半導体向け液状封止材などエレクトロケミカルの分野における世界的勢力図と競合の存在などについて教えてください
小田嶋社長 ニッチな分野であり、参入企業はそれほど多くありません。弊社と、国内、海外の各1社。あとは化学系コングロマリットの一分野など。液状の封止材だけで言えば、弊社が5~6割くらいのシェアです。
―― 大手コングロマリットが席巻しづらい分野と言えますか?
小田嶋社長 半導体はご存じの通り、アプリケーションとして自動車、パソコン、スマートフォン、スマートテレビ、家電など最終製品のバリエーションが多岐にわたるため、今の時代はひとつひとつの発注が大きくなり、大手が参入を考えているという話も聞きます。ただ封止材と言っても、様々なタイプの材料が必要になり、弊社が手掛けるだけでも月に数百の品番を数える少量多品種が求められるので、大手が参入しにくいということはあるかもしれません。

エレクトロケミカルの分野はグローバルな成長分野であるが、少量多品種の需要に応えられる企業は数少ない
―― 地政学的な問題など、外的要因で影響が出そうな市場ではあります。リスク回避は考えておられるのですか
小田嶋社長 (前述したように)ひとくちに半導体と言っても最終製品のバリエーションに加えて、CPU、GPU、EPUなどプロセッサーも何種類もありますから、供給過多になったとしても、全部が無くなることはないと思っています。弊社が供給しているのは部品そのものではなく周辺材料なので、影響もそれほど大きくないかと。
以前、リーマンショックで世界中のものづくりが大きく影響を受け、弊社も生産が止まったことがあったのですが、幸いリカバーも早くて、3~4カ月で元通りに戻りました。一方で、金融恐慌の影響をものづくりも受けるということを、この時初めて肌身に感じ、教訓としました。現在は半導体関連分野の構成比が圧倒的ですが、一般電子部品や燃料電池向けの材料など様々な分野に取り組んでいます。
先代である父からのバトン
―― ナミックスは、前身の北陸塗料株式会社だった頃から、時代の潮目を読むのが早いというか、常に一歩先んじている印象です。1960年代にはペンキなど一般塗料の製造販売から、エレクトロニクス分野に特化し始め、80年代には半導体関連材料分野に進出しています。節目節目に転機が訪れていますね
小田嶋社長 祖父が電子部品の材料を扱い始めて、父である先代が半導体向けの材料を。確かに今考えると先見の明はあったのでしょうね。父は欧米の文化、特に米国の文化に傾倒していました。ジャズが大好きで自分でも演奏するほどでした。海外へも頻繁に出張に出かけていました。
質問にあった「転機」で言えば、もう一つは海外展開です。海外展開は2000年頃から先代の意向で本格的に始まりました。私がナミックスに入社(前職は大手エレクトロニクス製品メーカー)したのが1998年ですが、その当時のナミックスの売上構成比は国内9割、海外1割といったところでしたね。先代が国内で会社を守りながら、私ともう一人の役員を海外に出して拠点(海外法人)を作っていく作業です。先代は、本当は自分が行きたかったと思いますよ。とにかく私が戻ってきてからの仕事は海外での法人設立が完全にメインになりました。本来なら弊社のような規模の会社が海外進出を果たそうと思えばコンサルを入れるのが普通ですが、すべて自前で開拓しました。先代が「これからは海外に」と着想した時から着実に準備をしていたわけです。
―― 2006年に事業承継で代表取締役になられましたが、カリスマ経営者だった先代からのバトンタッチは、意外なほどにスムーズに推移しました。先代の「一線からの退き方」が見事でしたね
小田嶋社長 当時36歳ですから、「まだちょっと早いかな」とも思いました。もっとも私が新潟に帰ってきた時点で、先代は事業承継の計画を綿密に立てていましたね。「何年に事業承継して、その後に何期やったら自分が代表権を外して」という。仕事の棲み分けも「自分が商工会議所や同友会、銀行の付き合いなど外部のことを全てやるから、お前は社内のことを徹底してやってくれ」と。先代が他界したのは、自分が代表権を外した翌年でしたね。

小田嶋壽信ナミックス代表取締役社長
―― 創業からここまで非上場を貫いて。先行投資型の経営を続けている上で、資金調達などを考えた場合に上場企業が有利に思えますが、上場されない理由を教えていただけますか
小田嶋社長 確かに資金調達には有利ですよね。ただそれだけの理由で上場すべきではないとも思うのです。弊社のやり方はあくまで、「これを実現するためにはこの設備投資が必要」で「その原資を調達するとなれば日常の利益から積み上げていかなければならない」「ならば今年、来年はこれくらい売らなければならない」という逆算からです。直近7~8年くらいで、そのビジネスサイクルが嚙み合ってきましたから過去の投資分も回収されて、今はほぼ無借金経営に近い形です。
上場することで株主というステークホルダーの方を見なくてはいけなくなり、そうすると現在のような経営はできなくなると思います。これまでお客様と密接に情報交換をしながら1対1で仕事をしてきたことは、機密事項として守っていかなければなりません。「なぜこの投資が必要なのか」と株主に問われても説明のしようが無いのですよ。
ただそうした中で、周囲、特に取引先の見方も変わってきて「大企業並み」の要求をされるようになります。以前は工場監査と品質監査だけだったのが、経営監査も加わるようになり「CSRに対してどのような考えを持っているか」や「どういうプロセスで発令され、どういうプロセスで評価されるか」、果ては就業規則まで見られるようになりました。カーボンニュートラルに対しても日本は2050年を目標にしていますが、弊社の目標は2030年ですから。

夢のある独創的なデザインの研究施設「ナミックス テクノコア」
地域社会への貢献≒稼いでいる会社の「ターン」
―― ナミックスは地域社会への貢献に篤い会社、という印象があります。企業の社会貢献に対しての考え方を教えてください
小田嶋社長 若い頃、特に30代から40代前半にかけては「座右の銘」やら「経営哲学」みたいなものは必要ないと思っていたのです。「誠実な経営さえしていれば、そういうものは関係ない」と。ただ、こうしたものがあると、経営に対して腹が座るというか、覚悟ができますよね。それに気づいたのが50代に差し掛かるころです。
今、指針としているのは「世のため、人のため、自分のため」という考え方です。世のため人のために何かをするのは、回りまわって自己満足なのだよ、と。「情」というものは人を動かす原動力ですが、「情」を絡めて成功を目指したら、うまくいかないと思います。地域社会に対して何かをすることも、「情」でするのではなく、結局は自分たちの満足のためにやるのだと。
地域・社会への貢献は、その時に儲かっている会社がやるべきだし、それはある種の義務だと考えます。幸いにも今は弊社がそのターンにあるわけで、もし私たちが将来的に利益が少なくなってカツカツになってきたら、その時に儲かっている会社にやって欲しいと思います。こうした持ち回りが必要だと思うのですよね。私が経営を担っているうちは、その「持ち回り」をキープし続けたいとは思っています。それが社会だと思います。

ナミックスでは事業所保育園「アミック」を設置し、就労者への援護を基本としながら、商業地域、新興住宅街という地元地域家庭に対しても育児を一緒に行う展開をしている
―― 向こう5年で目標としていることはありますか
小田嶋社長 ナミックスは2026年に創業80周年を迎えます。今後100年企業を目指すうえで、今の状態以上でその時を迎える体制づくりが必要ですね。その中にはたくさんの要素がありますが、まずは継続的に成長して行けるための基盤づくりです。
※ ※ ※
<インタビューを終えて>
ナミックスは新潟に拠点を構えているが、前述したように新潟でのビジネスはほぼ皆無で、海外が主戦場である真のグローバル企業である。こう言ってしまえば元も子もない話だが、ビジネスの必然性さえあれば新潟から拠点を移すことすら選択肢の一つだと思う。実際、過去には具体的な検討を行ったこともあったそうだ。それでも小田嶋社長は「新潟で育ってきた会社だから」と現段階で拠点を移すことは考えていないと話す。それどころか「雇用と納税だけでは社会貢献していると胸を張って言えない」として、積極的に新潟の福祉や地域活性事業を応援している。
多くの日本人経営者は、会社の利益を社会還元するという意識が希薄だ。新潟の企業に、こうした義務を担っていこうとする経営者がいるのは頼もしい限り。立派な考えだと思う。
(インタビュー 編集部 伊藤 直樹)