【記者ノート】旧高田藩士で浮世絵師の「楊洲周延」の特別展、上越市立歴史博物館で開催中 小林古径へと連なる系譜も!

美人画がひときわ目立つ浮世絵師、楊洲周延の作品
約45年に渡り美人画等描き続けた浮世絵師
旧高田藩士で江戸時代末期から明治時代にかけ活躍した浮世絵師、楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ・本名橋本直義、1838~1912)の作品を展示する特別展が上越市歴史博物館で開催中だ。周延は江戸末期の文久頃から明治40年頃まで画いた美人画の優れた浮世絵師で、『竹のひと節本朝二十四孝狐火』の3枚揃大判錦絵などでも有名だ。
彼の代表作である「千代田の大奥」の大奥シリーズには江戸城大奥に暮らした女性たちの日常が四季の風物とともに色鮮やかに描かれ、人気を博したという。3枚続きの風俗画を得意とした浮世絵師だ。
なお、特別展は8月23日までの前期と9月5日から10月12日までの後期に分けて行い、前期と後期とは総入れ替えし、全部で約150点を展示予定だ。
戊辰戦争参戦で役者絵、戦争絵、歴史画等も
楊洲周延は越後高田藩の下級藩士(江戸詰藩士)の家に生まれ、嘉永5年(1852年)15歳の若き日より、武者絵で人気を博した歌川国芳(1786~1861)の門人となり、国芳死後、歌川豊国、豊原国周ら歌川派の絵師に師事し、画技を身に着けた。
しかし、幕末の戊辰戦争では江戸高田藩士で結成された神木隊として上野戦争、更に旧幕府軍に加わり土方歳三らとともに箱館五稜の戦いにも参戦した。周延は高田藩江戸詰藩士の家で生まれたものの、高田で住んだことはなかったが、戊辰戦争後、高田で50日間の謹慎生活を送るとともに、高田の絵師・青木崑山と親しく交流していたようだ。
戊辰戦争後、本格的に絵師としての活動を開始したのは40歳となる明治10年頃、刀を絵筆に持ち替えた周延は、優美な美人画だけでなく、躍動感ある歌舞伎の役者絵、歴史画、時事画題まで、まさに「明治」という時代を描き尽くした。和泉式部などの平安時代や戦国の武将、日光名所などの風景画、中国の歴史画など多彩な浮世絵を描いたほか、戊辰戦争を戦い抜き、自らの実践経験を生かして激しい戦争の様子も描いた。

第四次川中島合戦での上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの模様を描いた周延の武者絵の作品

上越市歴史博物館
今回の特別展は、先祖が高田藩・榊原家家臣の縁で、作品収集をしたという東京都在住の村田正晴さんからこの程寄贈を受けた浮世絵で、村田さんは上越の皆さんに本物の浮世絵に触れて親しんで貰いたいと願い1200点を寄贈した。従って、今回の特別展のタイトルは「村田コレクション寄贈記念『楊洲周延-サムライ、浮世絵を描く―』だ。
展示は5章からなり、①サムライ、浮世絵師への道へ②サムライ、技量を磨き飛翔す③サムライ、文明開化と江戸懐古を描く④サムライ、浮世を描く⑤サムライ、集大成の美人画を描く(『時代かがみ』)など。同館の小川陽子学芸員は「上越とも御縁のある方からの寄贈であり、しかも高田藩士だった楊洲周延の素晴らしい浮世絵を楽しんでもらいたい」と話す。
また、上越市出身で文化勲章の日本画の小林古径へと連なる系譜もある。上越市には小林古径記念美術館もあり、小林古径邸は東京からそのまま移築したものでもある。なお、明治期に活躍した楊洲周延は、浮世絵師の鍋田玉英の師匠であり、その鍋田は小林古径の師匠である日本画家の梶田半古の師匠でもあることから、周延も小林古径へと連なる系譜を持ち、上越が織りなす縁とも言えるだろう。
竜哲樹(にいがた経済新聞ライター)