【梅川リポート31】上杉謙信ゆかりの神事、456年の祈りを次代へ 春日神社「御剱祭・南方山」

7月23日、歓喜堂にて帰還奉告祭後の記念撮影
上杉謙信が領内の安寧を願って始めたとされる春日神社(新潟県上越市本町1)の神事「御剱祭・南方山」が今年で456年を迎えた。白装束に身を包んだ代参一行が、春日山の南方に位置する妙高山に登る。城下が高田へ移った後も、春日神社と旧春日町の住民らが一度も途絶えさせることなく継承してきた。長い歴史を持つ一方、真夜中の登山を伴う厳しい神事であり、次世代の担い手づくりが課題となっている。神事の本質を守りながら、現代に合った発信と参加の形をどう築くか。地域文化の継承に向けた模索が続く。
南方山の始まりは1570年にさかのぼる。春日神社の資料によると、謙信は領内の人々の家内安全、商売繁盛、五穀豊穣、子孫繁栄を願い、林泉寺6世の天室和尚に「倶利伽羅不動尊御旗」を持たせ、自身に代わって妙高山へ登拝するよう依頼した。個人の願いをかなえるためではなく、地域の人々の思いを背負って祈りをささげる「代参」の神事である。
代参一行は毎年7月22日朝、御旗を掲げて春日神社を出発する。途中、荒町の水谷家歓喜堂に立ち寄り、関山神社を経て宿に入る。23日未明に宿を出発し、朝方に妙高山頂へ登拝する。下山後は再び歓喜堂に立ち寄り、氏子に帰還を報告する御旗渡御を行って春日神社へ戻る。道中や参拝時には参上唱歌が奉唱される。

7月23日早朝、妙高山頂にて参上唱歌
春日神社の大島美香宮司は、456年間続いた最大の理由について「歴代の氏子や地域の方々が、この神事を『自分たちの代で途絶えさせてはいけない』という強い思いを持って受け継いできたことだと思います」と語る。社会情勢や生活様式が大きく変わり、継続が容易でない時代にも、その時々の人々が先人から受け取ったものを次代へ渡してきた。「神職だけで守ってきたのではなく、氏子、地域の皆さん、実際に南方山に参加してくださる方々、一人ひとりの思いによって守られてきた神事だと感じています」と強調する。
謙信が込めた願いは、現代にも通じるという。大島宮司は「現代は個人の生活や価値観が多様化していますが、だからこそ『自分だけではなく、誰かのために祈る』『地域のために行動する』という精神には大きな意味があると思います」と話す。時代が変わっても、人を思いやり、地域の平穏を願う心は変わらない。その精神に、神事を現代まで続ける意義があるとみている。

7月23日ご来光
一方、最大の課題は次世代への継承である。南方山は真夜中に妙高山へ登るため、身体的な負担が大きい。経験者が減れば、登山だけでなく、準備や作法、神事の意味も失われかねない。大島宮司は、参加者を単に増やすのではなく、「なぜ登るのか」「何を受け継いでいるのか」を理解してもらった上で、若い世代に加わってもらうことが重要だとする。
継承を支えているのが、繰り返し山に登る参加者だ。東京都在住の中島尚毅さんは2022年から5年連続で参加した。上越への転勤をきっかけに妙高山へ登りたいと思い、取引先との縁から南方山を知った。初参加時に仲間と「体力が続く限り、毎年登ろう」と約束し、その言葉を守ってきた。
中島さんは、謙信に「高潔なイメージ」を抱く。私利私欲で戦わず、「敵に塩を送る」と伝えられる振る舞いは、戦国時代では異質ともいえると話す。南方山については、一緒に登る人の存在や妙高山からの眺めを魅力に挙げ、自身も伝統を支える「担い手の一人」と受け止める。今後の継承については「こういうものは、呼ばれている人が来るのだと思います。ご縁のある人が自然に集まってくる」と語り、無理に参加を促すのではなく、人の縁が次の縁を生むことに期待する。
今年から初めて参加した石崎琢磨さんも、知人から誘いを受けたことがきっかけだった。東京出身で、家族の事情から石川県で暮らした後、仕事を機に上越へ移住した。上越で事業を立ち上げる計画があり、謙信が人々の暮らしを願った神事に「願掛け」の思いも重ねたという。
石崎さんは「自分が住んでいる所にどのような歴史があり、どのような風土や文化があるのかを勉強したい」と話す。参加を一度限りにせず、体力が続く限り携わり、「中継ぎではないですが、次の世代につないでいけるような存在になれれば」と語る。「日本が日本たるゆえんは、こうした伝統が続いているところにあると思う。その一つを紡ぐ存在になりたい」と、初参加ながら継承への意欲を示した。

7月23日夕刻、御旗渡御の際、毎年立ち寄る髙橋孫左衛門商店前にて報告
大島宮司は、10年後、20年後も続けるためには、まず神事の存在と意味を知ってもらう必要があるとする。地域内でも、450年以上続く神事が身近にあることを知らない人は少なくない。若い世代や子どもに伝えるとともに、登る人だけでなく、送り出す人、迎える人、準備を担う人など、多様な形で関われる神事にしていく考えだ。
何度も参加する人ほど、「自分のために登る」という意識から、「神事を次につなぐために登る」という思いが強くなると大島宮司は感じている。真夜中の妙高山は決して楽な道のりではない。それでも先人が歩いた道をたどり、参加者が励まし合い、支え合って祈りをつなぐ。そこに世代を超えた関係が生まれることも、南方山の大切な魅力だという。
今後は、神事本来の意味と形を守りながら、写真や映像、交流サイト(SNS)も活用する。「昔から続いているから続ける」のではなく、なぜ456年間続いたのか、なぜ今も続けるのかを改めて考え、伝えることが欠かせない。大島宮司は「御剱祭・南方山を通じて、上杉謙信公の時代から受け継がれてきた『地域のため、人のために祈る心』を次の世代へつないでいく。それが、今を預かる春日神社の役目だと思っています」と力を込める。
古くからの形と精神を守る一方、伝え方や関わり方は時代に合わせて変える。大島宮司の言う「守ること」と「変えていくこと」の両立が、457年目以降へ歩みをつなぐ鍵となる。

現存する2代目の御旗は狩野東玉の作
(取材・文 梅川康輝)