新潟が生んだ近現代小説家(1)坂口安吾『風と光と二十の私』(講談社文芸文庫他)

しばらくの間、新潟県が生んだ近現代の小説家の作品をたずねてみましょう。新潟県出身の小説家となれば、まずは坂口安吾(1906~1955)を取り上げないわけにはいきません。

僕が安吾の存在を意識するようになるのは、中学2年の2学期、愛知県から新津市立第五中学校に転校してからのことだったと記憶しています。五中の近くに大安寺という地域があり、辺り一帯見わたすかぎりが「坂口家」の田んぼだったと友人から聞かされたのです。新潟には大地主が多いとかねてから知ってはいましたが、見わたすかぎりが……というのは少年の想像力を超えるものでした。その坂口家の五男坊が安吾(本名は炳吾)です。大安寺には今も坂口家のお墓がありますが、安吾が生まれ育ったのは、安吾出生時、実業家でもあり、すでに憲政本党所属の衆議院議員であった父・仁一郎が居を構えていた新潟市大畑町でした。旧居近く、新潟市中央区西大畑町に所在する旧新潟市長公舎が、今は「安吾 風の館」という坂口安吾の記念館となっています。

昭和期、戦前・戦後を通じて多くの作品を残してきた安吾ですが(その事蹟にふれるには「坂口安吾デジタルミュージアム」が便利です)、ここで取り上げたいのは『風と光と二十の私』という短編小説。1946年4月、雑誌『新潮』に「堕落論」を発表して注目され、旺盛な執筆活動を始めた安吾が、1947年1月の『文芸』に発表した作品です。

安吾が旧制新潟中学校時代(現県立新潟高校)、授業にも出ずに砂丘に寝転がって時を過ごしていたことはつとに有名なエピソードですが、安吾は3年次に落第を怖れて東京の豊山中学校(現日大豊山高校)に編入学。1925年3月、数え年20歳で無事卒業します。1926年4月には東洋大学印度哲学倫理学科に入学。それまでの1年間を東京郊外の荏原第一尋常高等小学校(現世田谷区立若林小学校)の分教場(現世田谷区立代沢小学校)で代用教員をすることとなります。『風と光と二十の私』はその1年間の経験をベースにした作品です。1925年~26年、大正末期、日本の学校は言うまでもなく「教育勅語」が君臨する世界。そこで「性来放縦で、人の命令に服すということが性格的にできない」という〈私〉が子どもたちを相手にするのですから、興味を抱かないわけにはいきません。

「私は放校されたり、落第したり、中学を卒業したのは二十の年であった。十八のとき父が死んで、残されているのは借金だけだということが分って、(中略)私は働くことにした。小学校の代用教員になったのである」と始まり、「教員時代の変に充ち足りた一年間というものは、私の歴史の中で、私自身でないような、思いだすたびに嘘のような変に白々しい気持がするのである」と結ばれるなかに、まだ武蔵野の「原始林」が残る農村の子どもたちとの関わりが、大人のありようとも合わせて語られています。

〈私〉が担任する子どもたちは、この分教場で最上級生の5年生「男女混合の七十名ぐらいの組」。その組の子どもたちは「七十人のうち、二十人ぐらい、ともかく片仮名で自分の名前だけは書けるが、あとはコンニチハ一つ書くことができない子供がいる。二十人もいるのだ。このてあいは教室の中で喧嘩ばかりしており」という具合なのです。「時々人をいじめることもあった」乱暴者も「力仕事というと自分で引受けて、黙々と一人でやりとげてしまう」。ませた女の子もいれば、主任が気を使う村の有力者の子どもも当然ながらいます。〈私〉はこうした子どもたち一人ひとりと日々向き合い、やがてこんなことを思うようになります。

子供は大人と同じように、ずるい。牛乳屋の落第生なども、とてもずるいにはずるいけれども、同時に甘んじて犠牲になるような正しい勇気も一緒に住んでいるので、つまり大人と違うのは、正しい勇気の分量が多いという点だけだ。ずるさは仕方ない。ずるさが悪徳ではないので、同時に存している正しい勇気を失うことがいけないのだと私は思った。

代用教員・〈私〉は「子供のやることには必ず裏側に悲しい意味があるので、決して表面の事柄だけで判断してはいけない」とも考えます。子どもたちはそれぞれに「あたたかい思いや郷愁をもっているので」「それを心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい」「子供の胸にひめられている苦悩懊悩は、大人と同様に、むしろそれよりもひたむきに、深刻なのである。その原因が幼稚であるといって、苦悩自体の深さを幼稚さで片づけてはいけない」とも……。

『風と光と二十の私』が発表されたのは1947年1月。その年の3月31日には「個人の尊厳」を旨とし、5月3日に施行される「日本国憲法」と平和国家の両輪をなす「教育基本法」が公布・施行されています。『風と光と二十の私』には、「教育勅語」下にあってなお「個の尊厳」を先取りする教育観が示されています。その教育基本法も2006年12月、第1次安倍政権の下で、現行の教育基本法に「改正」されました。……さて、今、学校は?

 

片岡 豊

元作新学院大学人間文化学部教授。日本近現代文学。1949年岐阜県生れ。新潟県立新津高校から立教大学文学部を経て、同大学院文学研究科博士課程満期退学。現在、新潟県上越市で「学びの場熟慮塾」主宰。

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