【コラム】「日本政府観光局バンコク事務所長の頃 ~次は大洪水」新潟県元副知事・中国運輸局長 益田浩


はじめに

師走になりました。もう1年が終わるのかと思うと、早いですね。今年は夏の暑さがずっと続き、短い秋が終わり、あっという間に冬になった感があります。今シーズンは暖冬との予報が出ていましたが、どうなるでしょうね。

この原稿を書いているとき、新潟県の知人から弥彦村・弥彦公園の紅葉の画像が送られてきました。真っ赤です。新潟在住の頃は、毎シーズン、観に行っていましたので、懐かしいです。

少し脱線

11月下旬、山口県萩市で、萩時代まつりに参加する機会がありました。甲冑を着用し、太刀を佩き、足元は草鞋を履いて、という出で立ちで、長州藩初代藩主の毛利秀就公に扮して、歴代の藩主や奇兵隊とともに萩のまちを歩きました。

有名な毛利元就公は萩市長、毛利輝元公は萩税務署長です。私は広島市の小学校の修学旅行で萩市の指月城址や松下村塾を訪れて以来、幕末・明治維新期が大好きで、新潟でも、小千谷市で長岡藩家老・河井継之助の足跡をたどったり、朝日山古戦場を巡ったりしましたが、今回、お祭りの前日に萩市入りして、約20年ぶりにしっかり市内を散策しました。

萩博物館、松陰神社、明倫学舎、野山獄・岩倉獄跡、高杉晋作生家などを巡って、最後に団子岩にある吉田松陰や親族、門下生の墓所を訪れたのですが、墓所を案内されている年配の方と話をしていると、「福島や新潟の人は、まだ山口を恨んでいるのだろうなぁ」とこぼしておられました(私が新潟県元副知事であることは、明かしていません。)。昭和62年(1987年)、明治維新120年を機に、萩市から会津若松市に友好都市の提携を持ちかけたものの、会津若松市民の猛反発で頓挫したことは、まだ記憶に新しいようです。

36年経った今はどうなのでしょうね。新潟県でも、先に述べた朝日山古戦場では、長岡藩と長州藩の戦闘があり、松下村塾門下で奇兵隊参謀の時山直八が戦死していますし、「だから、新発田もんは信用できん」という厳しい言い方を、自分で直接耳にしたこともあります。

ただ、私も新潟に赴任して初めて知ったのですが、佐渡を除く、新潟県に相当する地域には、長岡藩だけで無く、村上藩、黒川藩、三日市藩、新発田藩、村松藩、三根山藩、椎谷藩、与板藩、高田藩、糸魚川藩などに分かれていましたので、佐幕派、討幕派に対する受け止めの地域差はあるのかもしれません。実際のところ、どうなのか、新潟勤務時に県内各地で聞いておけば良かったなと思います。

なお、地域のお祭りと言えば、新潟にいた平成30年5月、阿賀野町津川の狐の嫁入り行列で仲人役をやり、令和2年7月、村上市の村上大祭で、おしゃぎりを引くことができました。ちょうどコロナ禍に重なってしまい、実際に参加することができたお祭りは、この2つのみですが、とても良い思い出になっています。

 

本題、タイで大洪水が起きる

前回、2011年9月には、前年同月比で訪日タイ人数がプラスに転じ、東日本大震災による訪日マインドの冷え込みを脱したことを書きました。その陰で、同月はタイ観測史上、月間雨量が最も多く、同年5月以降に相次いだ、50年に一度と言われた記録的な大雨と相まって、多くのダムで貯水限界を超え、タイ北部から中部にかけて徐々に洪水が広がっていきました。

タイを南北に流れる大河チャオプラヤ川は、河口から約200kmまでの下流部では、河川の勾配が6万分の1から5万分の1であり、信濃川の長岡~三条の勾配が3千分の1、三条~新潟の勾配が4千分の1であることと比較すると、如何にチャオプラヤ川が緩やかであるか分かると思います。その分、チャオプラヤ川の流下能力が低く、非常にゆっくりと流れていきます。

このときの洪水も津波のような速度ではなく、じわじわと南下して、バンコクに近づいてきました。9月下旬から10月にかけて、バンコクが浸水するか否か、専門家の異なる意見がメディアに溢れ、政権交代で新たに政権を担ったインラック政権内でも指揮命令系統が混乱し、権限が無い閣僚がバンコクの一部に勝手に避難指示を出し、直後に取り消されるなど、各種情報が錯綜していました。この間にも、多くの日系企業が集積するバンコク北部の工業団地が次々と冠水していきました。

日系企業の工場が水没した映像やハードディスクドライブ(HDD)の生産がストップし、流通が混乱したニュースを記憶されている方も多いと思います。

さらに、野党の民主党系が知事を務めるバンコク都とタイ政府との不協和音が顕在化し、双方から異なる洪水の予測情報と避難指示が出される状況では、在留邦人も右往左往するしか無いのが正直なところでした。

バンコクやその周辺には、日本から赴任した多数の日本人やその家族が在留しており、輻輳するタイ語ニュースに振り回されていましたが、頼みの綱のNHKの日本語ニュースでも、バンコクの外れにある洪水地点を取材しては、あたかもバンコク中心部が今にも洪水に襲われるかのような過剰報道を繰り返したため、情報の乏しい在留邦人がかえってパニックになるなど、ひどい有様でした。日本のメディアの報道姿勢に強い違和感を覚えました。

10月中旬には、洪水被災地を視察したインラック首相がヘリコプター内で泣いている画像が報道され、下旬には、同首相がバンコク全域に浸水のおそれがあると表明、続いて、災害対策本部が置かれていたドンムアン空港も水没するなど、自分と家族の身は自分で守るしか無いなという覚悟を決めざるを得なくなりました。

大潮と重なった週末には、いよいよバンコクが危ないとの情報が流れ、バンコクから150km離れたパタヤに一時避難したこともありました。

10月20日には、当時、小学校・中学校あわせて3000人を超える児童が在籍した泰日協会学校(バンコク日本人学校)が休校となり、同月27日には日本の外務省がバンコクへの「渡航の延期」を勧告したため、家族を一時的に日本に帰国させることし、私だけバンコクに残ることにしました。タイに赴任する際、A型肝炎、B型肝炎、破傷風、日本脳炎、狂犬病のワクチンを接種しましたが、洪水時の感染症流行に備えて、腸チフスやコレラ(経口ワクチン)を接種したのもこの頃です。今回はここまでとします。

 

益田浩

昭和61年3月私立修道高等学校卒業、平成3年3月東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種(法律)合格。平成3年4月運輸省採用。平成9年7月運輸省大臣官房人事課付(英国ケンブリッジ大学留学国際関係論)、平成27年7月自動車局自動車情報課長、28年6月大臣官房参事官(税制担当)などを経て、29年7月新潟県副知事。令和2年7月内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官、令和4年6月国土交通省中国運輸局長。

 

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