大事なのは“誰が建てたか”― 職人で選ばれ続ける家づくり、永井建設(新潟市南区)に見る「仕事の流儀」
その会社には職人がいる
株式会社永井建設(新潟市南区)は創業139年という、新潟きっての歴史ある住宅供給者だ。1886年(明治19年)に創業し、現在の永井剛社長で5代目となる。
「ありがとう工房」「オウルホーム」「平屋王国」という3つのブランドを有し、施主のニーズに合わせたスタイルで、卓越した技術が輝く家づくりを展開している。
記者には、「仕事のきめが細かい」、さらに言えば「会社としての仕事に対する考え方がきめ細かい」と映る会社なのだ。
現在は、年間50棟以上を供給する地域ビルダーの雄だ。大工の卓越した技術で新潟の気候風土に合った在来工法で完全自由設計、手作りの家を実践する。
同社の大きな特徴は、自社で大工や職人を数多く抱えているという体制だ。一般には「家は大工が建てるもの」「建築会社には大工がいる」と思っている人も多くいるかもしれない。それは半分当たっているし、半分外れている。
「工務店」「地域ビルダー」「ハウスメーカー」といった住宅供給者の多くが、自社で常勤の大工を抱えず、外部の大工(職人)や工務店ネットワークに工事を委託するのは、現代の国内住宅業界の特徴である。
業界的な事情を話せば、現代の住宅はプレカット(工場で木材を加工する方法)の普及により、従来よりも「現場での大工技能」の必要度が下がったことが挙げられる。腕を持った大工を抱える必要性が薄れたのだ。
また人件費、固定費リスクは当然大きい。住宅着工数は景気や政策に左右されやすく、仕事量が安定しない場合が多い。大工を正社員として抱えると、仕事が有無にかかわらず給与や社会保険料を負担する必要がある。自社大工の仕事が途切れないように、潤沢な受注を同じペースで維持し続ける必要がある。これは簡単ではない。
永井建設には2025年9月現在、8人の大工と1人の板金職人が正社員として在籍する。業界の風潮とはある意味反対のこのやり方は、家づくりに真っ向から向き合うこだわりと、確かな営業力がなければ貫くことはできない。
以下、永井剛社長に聞いた。
家づくりで大事なのは「誰が建てたか」
― 永井社長ご自身も一級建築士であり大工としての現場経験もあります。高校卒業後すぐにカナダにも留学されていますね
永井社長 4人兄弟の末っ子長男(上三人が姉)だったので、なんとなく自分がこの家業を継ぐのだろうな、という意識はありました。高校2年の頃、日本でも2×4工法の家が増え始めて。当時から弊社には5人の大工がおりましたが、全員が在来工法しかやったことがないというので、今後2×4が普及した時に果たして対応できるのか、と危機感を覚えたのです。
それなら自分が、2×4の本場でもある北米、カナダで技術を学ぼうと思い立ち、実際に2年間現地で大工仕事をしながら学びました。続いて東京の建築専門学校で2年間学び、その後は東京で2×4の大工、不動産営業、住宅営業などをしながら勉強して。20代はそれで良いと思っていたんですが、25歳になったら父親に「早く帰ってこい」と言われ、思いのほか早く会社に入りました。
― 139年の歴史ある永井建設が建てる家は、シンプルに表現するとどんな家ですか
永井社長 弊社は創業当時から代々の「家大工」です。そうした背景もあり基本に置くのは「丈夫で長持ちの家」です。それには見えない部分ほど丁寧に仕事をすることです。断熱の取り方ひとつで壁内結露を起こし、せっかく良い家を建てても柱から腐ってくることもあります。
丈夫な家というのは、決して材料、資材だけでは実現しません。大工の腕、仕事の仕方、木材への目利きで実現する「丈夫な家」が理想ですね。
― 永井建設が大工を自社で抱える、そこにこだわるのはなぜですか
永井社長 コストが高くても良い人材をそろえながら家づくりをしたい。弊社を選ばれるお客様にも、結局はそこを評価していただいていると思うのです。例えば「近所に大工がいるけど心配だから大手のハウスメーカーに頼んだら、その近所の大工が出てきた」なんて話もよく聞きますが、これでは高い金額を出して大メーカーに頼んでも意味がない。「誰がつくった家か」「誰が建てたのか」は、家づくりにとって最も重要なことだと考えるのです。家づくりは建てて引き渡して終わりではありません。当然、長年にわたるメンテナンスの必要性も生じてきますが、その時に「この家を建てた大工・職人」が来てくれるのが一番良いわけです。ほとんどのメーカーがそうかもしれませんが「自分のやった仕事の後始末を他の誰かがやる」というのは違うと思うんですよね
― 家づくりは「一生に一度の大きな買い物」と言われますが、どうせなら職人が気概を持ってつくった家を提供したい、と
永井社長 そうです。大工の側から見れば「自分がそれまで何十棟も建てたうちの一棟」かもしれませんが、お客様にとってみれば「1分の1」ですから。永井建設として、求められる仕事のレベルがあるのです
職人の手で、良い家が残っていく社会を
― 「ありがとう工房」という屋号をつけた理由は?
永井社長 平成16年に父から事業承継した際に「永井建設」では、多くの人に伝わりにくいかと考えました。「ありがとう」としたのは、やはり私たちの仕事というのは「感謝を作っていく」「ありがとうの創造」が続いていくわけなので。お客様に喜んでいただき、それと同時に「ありがとうを浴びる」ということをモチベーションに仕事をしたいと
― どういった人材を求められますか?
永井社長 やっぱり人柄を見たいですね。周りとの協調性を持った人が良い。家づくりはチームプレイですから。自分一人だけで良い家はできない。別の業者とのコミュニケーションも持たなければならない。素直、プラス発想、探求心が旺盛、そんな人に来ていただけると良いですね。
最初は誰でもスキルなんてないのです。RPGと一緒で最初はレベル1からスタートするのです。ひのきの棒、布の服で、スライムを倒しては宿屋に戻って回復する。そうやってひとつひとつレベルを上げていくのです。(倒すと経験値をたくさん稼げる)メタルスライムなんてめったにいませんから。
― 社長が描く、永井建設の夢はなんですか?
永井社長 やっぱり、新潟で着工棟数ナンバーワンになりたいですね。そのためにも職人を増やしていきたい。職人が建てる家、良い家が残っていく社会にしたいです。
※ ※ ※
大工が、職人がつくる手作りの家にこだわる。それも信用して任せられる自社の大工を。
「細かいところ、見えないところにこそ心血を注ぐ」と永井社長は仕事の流儀を説く。単純なことのようだが、職人の技術が作りあげる家の丈夫さというのは、突き詰めればその積み重ねなのだろう。
現在進行している家づくりの現場に、同社の職人を訪ね、話を聞いた。
小倉博文さん(49歳)は永井建設に入社8年目だが、16歳から大工一筋でやってきた熟練の職人。「若い世代の人口減少などで仕事が減っているはずだけど、この会社は仕事が潤沢にある。ありがたいことです。自分も若い世代を育てていかなければならない歳。現場ではなんでも聞いてもらって、多くのことを伝えていきたい」
石田泰雅さん(28歳)は大工になって10年。「この仕事は小さいころからの夢。今では自分で現場を仕切れるようにもなりました。先輩も優しくしてくれます。逆に後輩に教えられることもしばしば。5年後の将来設計ですか?結婚して家庭を持っていたいですね」
高野洋人さん(22歳)は入社2年目。建築関係の専門学校を卒業後、永井建設に。「自分が人の暮らしを支える家づくりをしていると考えれば、とてもやりがいのある仕事です。仕事で間違っても、ちゃんと聞き返せば先輩は優しく教えてくれます。5年後の夢ですか?1人前になって、現場を回せるようになりたいですね」
永井建設で唯一の板金職人である落田正則さん(56歳)は20歳の時から36年間板金職人の道を歩むスペシャリスト。以前勤めていた板金専門業者から転職して7年目。
「昔の親方からは、現場を一人で仕上げられるようになって(板金職人として)一人前と言われたもの」と話し、
「速さや量を追い求めるより丁寧な仕事がしたくて永井建設に。ちゃんと自分の意見を言える風通しの良さがある会社です。職人チームはみな仲が良いので、お互いに助け合う空気ができている」(同)。
永井社長の言う「職人が気概を持って働ける会社を」という意味、それが現場を見学して一目で伝わった。
大工、板金職人の働いている姿が、「かっこいい」と映る現場がここにあった。
(編集部 伊藤 直樹)
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