【日帰り温泉の再生】傾きかけ温浴施設を次々とV字回復、関越サービス(西蒲区)の「フルスイング論」
今年7月に、日本最大級の温浴情報サイト「ニフティ温泉」が発表した「ベスト温泉・スーパー銭湯ランキング2025」のサウナ部門で、新潟市西蒲区の温浴施設「じょんのび館」が5位にランクインした。サウナーなら誰もが知る聖地「ゆらっくす」(熊本県)などと並んでのランクインは目を見張るものがある。
今や「新潟県のサウナの聖地」として全国からサウナーが足を運ぶようになった「じょんのび館」は、もともと第三セクターとして1992年に開業したが、2019年に株式会社関越サービス(新潟市西蒲区)のグループ会社が運営するようになり100%民間資本となった。
関越サービスグループは他にも、もともと小須戸町営(のちに合併で新潟市営に)だった秋葉区(旧小須戸)の「花の湯館」や、三条市営の「さぎの湯温泉・しらさぎ荘」の指定管理を行っている。これらの温泉施設はどれも、関越サービスが運営に着手する前は、取り立てて特徴がないことから経営が左前になり、立て直しを余儀なくされていたものばかり。今や安定を取り戻しただけでなく、コロナ禍以降は来場者も右肩上がりを続けている。
いったいどんな「魔法」で、これらの施設はよみがえったのか。取材してわかったこと、それは「魔法」ではなく、柔軟な発想力と、目標に向かってフルスイングできる経営胆力だった。
2000羽の「超あひる風呂」―子供が“さわげる”温泉「花の湯館」
関越サービスは、創業者の小川明彦氏(現取締役会長)が、ボイラー技士から身を起こして大きくしたビル・施設管理の会社だ。創業は1979年。2019年に現代表取締社長の小川和宣氏に事業承継している。
それまでビル管理一筋に携わってきた関越サービスが、日帰り温泉の運営を行うようになったきっかけは、2015年に新潟市営の温浴施設(日帰り温泉)である「新潟市小須戸温泉健康センター花の湯館」の指定管理者になったことだった。指定管理の責任者になったのは、当時常務だった小川和宣現代表。
それまでの花の湯館は、主力入館者層が高齢者の常連客で固定化していた一方で、近隣に人気の日帰り温泉があり埋没した状態に。入館者数はピークの3分の2にまで落ち込んでおり、特に子供の利用が大きく減少していた。
「常連のお客様にだけ頼っていてはじり貧になります。伸ばしどころは子供、ファミリー層だと考えました」(小川社長)
小川社長は花の湯館の再生事業に、子育て世代の女性スタッフを登用した。
「従来の温浴施設がなぜファミリー層を呼び込むことができなかったかというと、高齢者層がゆったり過ごすために、子供を騒がせるわけにいかないという窮屈な環境設定があったからだと思うのです。騒ぎたくなるのは子供なら当たり前。ならば『子供が安心して騒げる日帰り温泉に』と考えたのです」
子供が喜ぶイベントを頻繁に企画した。浴槽にアヒルのおもちゃを多く浮かべる「アヒル風呂」や小判を浮かべる「小判風呂」、子供のコスプレイベントなど、親が喜んで写真を撮りたくなる絵的に派手な催しを次々に企画。特にアヒル風呂は、最初は300羽を浮かべただけだったが、最終的に2,000羽の「超アヒル風呂」のイベントにまで発展。花の湯館の名物イベントになった。
また地域連携にも注力し、旧小須戸の市街地で営業していた町屋カフェに声をかけ、温泉内にもカフェをオープンしてもらった。新潟県内の温泉施設で、館内にカフェを設えたのは初めての例だった。これも若いファミリー層には好評を博した。また子供たちを連れてくる高齢者も増え、結果的に高齢者層の利用も増えた。
この結果、関越サービスが経営参画した初年度と2年目は前年比110%の伸長を達成、3年目も105%と好調を継続した。絵にかいたようなV字回復だった。
最近でも猛暑に対応した「かき氷シャンプー」など趣向を凝らしたイベントが目白押し。館内では「子供の写真を撮る」母親の姿があちこちで見られる。
新しい大人をターゲティングした森の湯小屋―しらさぎ荘
次に関越サービスが手掛けたのは三条市の温浴施設「しらさぎ荘」の事業再生だった。こちらは花の湯館で実績を上げたことが評価されて自治体から声がかかった。
2007年に開業したこちらもテコ入れ前は地元の高齢者常連層で客層が固定化し、2008年以降は入館者数が減少の一途だった。
「さぎの湯の場合は『新しい大人層』に訴求しようというコンセプトです。シラサギが傷ついた足を休めに浸かったとされる伝説があり、実際に利用者の声を聴いても『湯が良い』という反応が圧倒的でした。施設のたたずまいも、森の小径を抜けてたどり着くようなロケーションで、大人がゆったりとした非日常を過ごすのに最適だと考えました」(小川社長)
ターゲットにしたのは「新しい大人層」だ。「森の湯小屋」というネーミングも絶妙な線をついた。
館内にはおしゃれなミドル・アッパー層にウケるようなリフォームを施した。それまでは病院の床のようなタイル張り、長机が並ぶような無機質な大広間だったが、暖かみがある内観へと手を入れた。小川社長は前職でマンションデベロッパーに勤務しており、当時の仕事を通じてデザインやインテリアなどの知識を得ていたことが役に立った。大広間には大きな本棚を置き、ハンモックなども設えた。食堂は三条スパイス研究所とコラボして、ナチュラル志向のメニューなども提供した。
当初、常連客からは「将棋ができなくなった」などのクレームもあったというが、そのうちそういう声はおさまり、逆に施設を「わが町の自慢」として話すようになった。
こちらも経営参画初年度には入館者数前年比106%、2年目には118%というV字回復を果たした。
お客様熱波師導入で新潟のサウナ聖地に―じょんのび館
新潟市西蒲区のじょんのび館だ。旧巻町の第三セクターとして1993年に開業。運営会社は株式会社福井開発。ピーク時の1995年には年間で28万人以上の入館者があり2001年まで20万人以上の入館者を記録していた。しかし2009年以降は赤字経営に陥っていた。2019年の株主総会で経営継続するか否かの判断を迫られていたが、関越サービスが「ホワイトナイト」として資金投入し、福井開発をグループ化。民間100%の運営に変わった。
「じょんのび館の場合は、既にサウナブームが緩やかに来ていたこともあり『サウナで行こう』という方針が早々に決まりました。経営参画した翌年2月には黒字転換する見通しにもなっていたのです」
小川社長をはじめスタッフは皆サウナのことを入念に学んだ。全国の有名施設も研究し、サウナリテラシーを蓄積した。サウナでタオルなどで仰いで熱い風を送るサービス「ロウリュ」「熱波」「アウフグース」、当時の新潟にはまだこれを行う施設はわずかだったことで、多くの「サウナー」がじょんのび館を訪れるようになった。こうして生まれた「森のサウナ」や「角田山の伏流水を使用した水風呂」などが全国のサウナーに注目された。
ところが事態は大きく暗転した。新型コロナウィルスの世界的なまん延である。
窮地を救ったのは意外な人たちだった。じょんのび館のファンの中で「熱波師をやってみたい」という自薦者が現れたのだという。これをきっかけに「お客様熱波師」を募集し、多くの志願者が集まった。人気漫画「サ道」のドラマ化で、世は一大サウナブームが到来し、じょんのび館の「お客様熱波師」は全国的にサウナーの注目となった。
現在も登録熱波師は数多く在籍し、それぞれ趣向を凝らしたアロマを用いて日替わりのイベントを開催している。じょんのび館のファンの間では「推し熱波師」なども存在するという。
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ここまで見てきて、関越サービスという組織の自然発生的な団結力が素晴らしいと感じた。そのテコ入れの仕方は、まずその施設が持つ「長所」を把握したうえで、コンセプトが決まったらブレずに取り組み、尖らす「フルスイング理論」。そうした空気を作り出している小川社長の手腕も高い。
現在は日帰り温泉3施設に加えて老人福祉施設も9カ所運営している。新潟の温浴文化をリードする企業になり、温浴施設運営は関越サービスの大きな柱にもなった。
小川社長は「社員が楽しく働いて、自分が考えたイベントを実現できるような社内の雰囲気を作っていきたい」と話す。風通しの良い社風が、それを実現に導くのではないか。
(編集部 伊藤 直樹)