【2026衆院選回顧#1】新潟1区・ 内山航(自民党)が目の当たりにした、「高市旋風」とは別の異変

自民党が歴史的圧勝を収め、単独で衆院の3分の2を超える316議席を獲得した2026年2月の総選挙。改選前の野党第一党だった立憲民主党は、自民との連立を解消した公明党と合流して新党「中道改革連合」を結成したが、選挙戦は「高市旋風」と呼ばれる強烈な追い風の前に大敗。各地の選挙区で旧立憲の重鎮が敗れ、党は解党的出直しを迫られる結果となった。

その「旋風」は、現場ではどのように受け止められていたのか。新潟県内の激戦区で戦った当事者たちに話を聞いた(本文中敬称略)。

当選した内山航代議士(自民党)に「高市旋風」の実態を聞いた

街頭の熱気と地元紙報道のギャップ

「最後の最後まで精神的にすり減る選挙戦でした」

こう振り返るのは、自民党新人の内山航(44)である。

新潟1区では、内山が中道改革連合現職の西村智奈美(59)に約2万票差をつけて勝利した。県都決戦と呼ばれる新潟1区で自民党候補が勝利するのは2012年以来のことだ。しかも開票が始まって間もない20時台に当確を打ったテレビ局もあり、実態は「ゼロ打ち」に近い完勝だった。

しかし当選直後、内山の口から出た言葉は意外なものだった。

「次(の総選挙)が怖い」

圧勝した候補者の言葉とは思えない発言である。そこには、選挙戦を戦った当事者にしか分からない戸惑いがあった。

街頭演説をすれば、これまで経験したことがないほどの熱気と歓声が上がる。選挙カーが通れば、家から出てきて手を振る人がいる。若い有権者から「もう期日前投票してきましたよ」と声を掛けられることもあった。近年、新潟1区で自民党候補が経験することのなかった光景である。

ところが、地元紙の報道はまったく違っていた。

公示直後から一貫して
「西村・内山が接戦」
「内山・西村競る」

という書き方に終始し、その論調は投票日前日まで変わらなかった。

公示から約1週間が経つと、全国紙が次々と情勢分析を打ち出す。まず読売新聞が「自民が単独で300議席超の勢い」と報じた。改選前は198議席であり、破格の予測である。続いて、近年の選挙で情勢分析の精度が高いと評判の朝日新聞も「自民単独で3分の2」という圧勝予測を掲載。旧立憲民主党の大物議員にも「落選危機」が相次いで報じられた。

それでも地元紙は、新潟1区について「内山が一歩抜け出す」とは書かなかった。むしろ内山と西村の表記順が日替わりで入れ替わり、読者には「予断を許さない接戦」のように映った。

街頭の反応は、これまでかかわってきた自民党選挙に比べ圧倒的に良かったという

内山は当時の心境をこう語る。

「街頭演説の反応は、これまで経験したどの選挙よりも良かった。しかし新聞を見ると『接戦』『競る』と書かれている。そうなると不安になります。『いったい、どこまでやれば勝てるのか』と、五里霧中で戦っているような感覚でした」

このギャップにはいくつかの理由が考えられる。地元紙の記者が「大きな地殻変動」が起きている現実を信じ切れなかったこと。さらに、公明党支持母体である創価学会のいわゆる「ブースト」が最終盤まで発動していなかったことなどだ。最後に学会票が動けば、西村が逆転する可能性もあると見られていた。

こうした「現場感覚」と「新聞報道」のズレは、新潟県内では1区と4区で顕著だった。4区でも最後まで「米山(隆一)、鷲尾」という順序で報じられたが、実際には開票と同時に鷲尾に当確が打たれている。

もっとも、内山はこうも語る。

「結果的には、この報道のおかげで選対が最後まで緩まずに済んだ面もあります」

県都決戦の行方には、地元紙の報道も少なからず影響を与えていたのかもしれない。

内山が感じた「選挙の原点」

内山は今回が初挑戦ではない。2012年の衆院選では「日本未来の党」から新潟1区に出馬した経験がある。その後、新潟市議として国政選挙の現場を数多く見てきた。

そうした経験の中で、以前から疑問を抱いていたことがあった。

「市議や県議の動き方が、あまり効率的ではないのではないか」

従来、新潟1区の自民党候補は市議・県議を選対の中心に据え、ポスター張りや街宣車の先導など、選挙実務の多くを任せてきた。内山自身も市議時代には同じ役割を担っていた。

だが、そのやり方に違和感を覚えていたという。

「今回、私は市議や県議の皆さんに選対の中心に入ってもらうのをやめました。ポスター張りや街宣車の先導はしなくていい。その分、票を集める活動に力を入れてほしいとお願いしました」

結果は明らかだった。市議・県議はそれぞれの地盤で街頭演説や集会を数多く設定し、大きな動員をかけた。まさに自分の選挙であるかのように、熱量をもって動いたのである。

選挙戦を通して、もう一つの気づきもあった。それは対立候補・西村智奈美の強さである。

「これだけ逆風の中だったのに、新聞の分析では無党派層の4割が西村さんを支持していた。草の根の組織づくりを続けてきたからこそだと思います。足腰の強さを感じました」

労働組合を基盤とする候補者は、一般に組織依存型の選挙になりがちで、草の根のどぶ板選挙は得意ではないとされる。しかし西村は地域行事への参加や小規模集会を積み重ね、地道に支持を広げてきた。

「選挙のイメージは、私とかなり近いと思います」(内山)

「負けてなお強し」の印象が残った西村智奈美代議士(中道改革連合)

「1区現象」の別の姿

もう一つ、内山が強調するのは「1区現象」の見え方である。

新潟1区は新潟市中央区、東区、江南区、佐渡市で構成される。特に県庁所在地を含む中央区の票の動きが選挙全体を左右する。

「普段から活動してきた新潟市中央区では、私が西村さんに1万1000票差をつけて勝っていました」

中央区の票が今回の圧勝の原動力になったことは間違いない。

確かに「高市旋風」と呼ばれる全国的な追い風は存在した。浮動票が多い1区では、それが一定の効果を持ったことも事実だろう。

当選直後にマイクを向けられる内山

しかし内山の見方は少し違う。

「結局は、私の顔を知っていて、内山航が何者かを知っている人が票を入れてくれたのだと思います」

今回の総選挙について、「日本社会の右傾化」といった大きな政治潮流で説明する向きもある。だが、現場で選挙を戦った当事者の感覚は必ずしもそうではない。

むしろ浮かび上がったのは、候補者の顔が見えるかどうか、地元でどれだけ活動してきたかという、極めて基本的な要素であった。

通常「1区現象」といえば、無党派層の支持を受けたリベラル系候補が、自民党の組織選挙を打ち破る構図を指すことが多い。今回はその逆で、自民党候補が浮動票を取り込み勝利した。

それでも内山は言う。

「結局は地元でどういう活動をしてきたか。それが一番大きいと思います」

「高市旋風」という大きな政治のうねりの中でも、選挙の原点は変わらない。今回の新潟1区は、そのことを改めて示した一例だったのかもしれない。

(編集部 伊藤 直樹)

 

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