新潟県新発田市で越佐招魂社の慰霊祭が開催


玉串奉奠の様子

新潟県新発田市の新発田市西公園で16日、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争(大東亜戦争)などの戦没者を慰霊する越佐招魂社の慰霊祭が開催された。

新発田市西公園には、戦没者納骨堂、越佐招魂碑、日露戦没忠霊塔、合同忠霊塔、ガダルカナル島戦記念碑などがあり、1万4,600柱の御英霊が祀られている。これまで越佐招魂社祭典委員会が御英霊の顕彰や不戦平和の啓蒙を目的に祭典を開催してきたが、メンバーの高齢化などから会の存続が困難となり解散、今年から中止となった。こうした中、16日の祭典は、新潟県連合遺族会、新潟県連合遺族会青年部、賛同者などが今年4月に設立した越佐招魂社奉賛会(石井修会長)が、越佐招魂社祭典委員会から事業を引き継ぎ開催した。

戦没者納骨堂

祭典には、石井修会長、県の花角英世知事、陸上自衛隊新発田駐屯地の堀口大助司令、新発田市の二階堂馨市長、新潟県連合遺族会の中山恭夫会長、国会議員、県議会議員など200名が参列し、御英霊に哀悼と感謝の誠を捧げた。

石井修会長

石井修会長は、祭文奉上の中で、新発田市が明治4年に陸軍の基地が置かれ、明治大正昭和の各時代において、この地より多くの将兵が凄惨極まりない戦地へと旅立ち、過去の幾多の戦役においてただひたすら祖国の繁栄と愛する故郷や家族の平和を願いながら異国の荒野に赴き、身も凍る厳寒の北方、灼熱の南方、青き空に海原に散華されたことを紹介。「その無念を拝察すると万感胸に迫るものがある。先の戦争で最愛の御英霊を失われた御遺族も筆舌に尽くしがたい御労苦を重ねられ、今もなお癒えない悲しみを抱きながら戦後を歩まれた。しかし悲しみの中にも御英霊の肉親であることを誇りに思い、御遺族同士で励まし合いながら歯を食いしばって生き抜いてこられた。そうすることが護英霊の皆様にお応えする唯一の道と信じたからと、ご遺族からも伺った。御英霊の皆様が最後まで案じられた我が国の平和と自由を私たちが謳歌できるのも、今日の目覚ましい経済発展と豊かな生活も御英霊の尊い犠牲と御遺族の弛まぬ努力が礎となりその上に築かれている」と述べた。

続けて、「今を生きる私たちは先人の皆様に尊崇と感謝の誠を捧げるとともに決して忘れてはならない。しかし先の終戦から75年が経過し国民のほとんどが戦争を知らない世代となった。世界では未だにテロや紛争が勃発している。戦争はいかなる理由であっても人の尊い命、財産、幸せが失われることに変わりはない。戦争は人と人が傷つけあう愚かしく苦しいものである」と語った。さらに、「思いを同じくする個人や団体の皆様と協力しながら(越佐招魂社祭典委員会で)ご遺族が担ってこられた御英霊の顕彰と世界の恒久平和を目指した不戦平和の役割を(越佐招魂社奉賛会が)受け継ぎ、子々孫々つなげていく」と決意を語っていた。

会場の全景

ガダルカナル島戦記念碑

日露戦役忠霊塔



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