今年6月に東京から新潟にUターンしたフラー株式会社の渋谷修太代表取締役社長兼CEO


渋谷修太代表取締役社長兼CEO

23歳の若さで起業

今年6月に東京から新潟にUターンしたフラー株式会社の渋谷修太代表取締役社長兼CEO。新潟県出身の起業家として、また、若きIT企業の経営者として、今最も注目される人物のひとりである。

まず、新潟へ戻って来た理由を渋谷CEOに聞くと、「コロナが結果的に要因となった。非常事態宣言が出て以来、全社的にテレワークにした。そして、ズームなどでの電話会議が増えてアポイントが今まで1日4、5件だったのが、7,8件こなせるようになった」と話す。

これまで東京にいた理由は取引先などの顧客が多く東京にいるからだった。しかし、コロナ禍で、どこにいてもアポイントがこなせるようになった今、東京にこだわる必然性がなくなったという。

2017年に新潟支社を開設し、1か月に1回のペースで新潟に来ていたが、株式会社スノーピークの山井太会長や株式会社ハードオフコーポレーションの山本太郎社長からUターンを勧められたことも決め手となったという。

もともと渋谷CEOの父親が佐渡出身で実家があり、幼少の頃は妙高市、小学生は南魚沼市、中学校は新潟市。中学を卒業して、ゲームを作りたかったという理由で、長岡高専に入学した。長岡高専では自分よりプログラミングが得意な人が周りにいた一方、渋谷CEOは寮生活の中で、みんなをまとめる役が多かった。18歳の頃、海外留学を考えていたこともあり、のちにライフネット生命保険株式会社を設立した岩瀬大輔氏の著書「ハーバードMBA留学記」を読み、感銘を受けたという。

そこで、「高専の仲間を集めた会社を自分が作る」(渋谷CEO)と起業家になることを決意し、高専を卒業した後、経営を学べる筑波大学経営工学部に編入した。その後新卒で、ゲーム事業などを展開するグリー株式会社に入社。

それまで自作のスマホアプリがヒットしたこともあり、2011年、23歳の若さで同社を起業した。渋谷CEOは「ある意味では、私は起業が一番リスクの低い選択だと思っている。自分で稼いでいける力があるのが一番強い。大企業が安心だとか、終身雇用もなくなっている今、誰が作ったかわからない会社に入るのは個人的には怖いと思う」と話す。

 

起業家の育成にも注力

新潟支社

新潟に帰ってきた理由の1つには、新潟の起業家の育成という面もある。新潟県では今、起業家を育てようとしているが、肝心の起業経験者がおらず、その意味で、渋谷社長は自分に何かできるのではないかと考えたという。

「新潟は起業率が低いが、コロナ禍で地方回帰が進んでいる中、起業はどこでもできるので、ぜひ新潟で起業してもらいたい。起業はニッチな競争相手がいないところを狙えというのが教えなので、東京の渋谷で店をやるより、地方でやったほうがはるかにチャンスはあると思う」と渋谷CEOは話す。

例えば、「新発田モデル」と呼ばれるビジネスモデルがある。株式会社ハードオフコーポ―レーションが10万人ほどの新発田市で成功したモデルだからこそ、全国展開ができたということを言うものだが、その意味では地方は起業家にとってチャンスが大きいと言えるだろう。

2018年には、同社初となる長岡花火を打ち上げた。長岡市は渋谷CEOが高専時代の5年間を過ごした地だ。最近では自らが代表理事となり、新潟ベンチャー協会を設立するなど新潟に拠点を移し、着々と足場を固めている。

長岡花火公式アプリ

その中で、新潟県のデジタル化のけん引役となりたいと話す渋谷CEO。そのためには、人材確保が課題だという。新潟県にはまだ、エンジニアやデザイナーが少ないため、新潟支社の社員のほとんどがUターン組だという。

フォローワー約8500人のツイッターで新潟の魅力を発信するなど「新潟愛」が溢れる渋谷CEOは、30代前半で100人の社員を擁する会社の陣頭指揮をとる。新潟県在住の若手起業人として、今後も注目していきたい。



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