【コラム】「JNTO(日本政府観光局)バンコク事務所長時代」 新潟県元副知事・中国運輸局長 益田浩

8月となりました。昨年6月末、広島に赴任してから早くも1年が経ちました。中国運輸局長として2年目を迎えるのは、3人ぶりになります。JR西日本ローカル線の存廃問題など課題は山積しているので、腰を据えてしっかり仕事をしなさいということでしょう。今月6日には、初めて平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式及び平和祈念式)に出席します。

もともと広島は生まれ故郷なので、中学・高校の同級生などとの旧交を温めつつ、経済界など新たな知り合いも増え、充実した日々を送っています。唯一、広島から新潟が遠いのが悩みの種ですが、大阪経由や東京経由に加えて、新たなルートとして選択肢にあった神戸経由、すなわち、フジドリームエアラインズ社による神戸空港~新潟空港便は季節運航となったようで残念です。早期に通年運航に戻ることを願っています。そして、新潟県民期待のトキエア社が無事に運航開始し、いずれ就航先として広島空港が選ばれないかなと密かに祈念しています。ありがたいことながら、この1年、新潟県の首長や新潟県庁の元同僚などがわざわざ広島出張を企画し、来広の折には中国運輸局に立ち寄ってもらっています。嬉しいですね。

さて、今回はタイにあるJNTO(日本政府観光局)バンコク事務所長時代の振り返りに戻ります。JNTOでは、外国人観光客の誘致に取り組んでいますが、最近、目に見えて外国人旅行者が増えてきました。観光庁が公表している都道府県別外国人延べ宿泊者数の統計では、今年4月と5月を比較すると、新潟県、広島県ともかなり回復しています。6月以降は対2019年同月比でプラスに転じることを期待しています。

2019年同月比

20234

20235

全国

-20.7%

-9.9%

新潟県

-30.9%

-7.8%

広島県

-22.9%

-11.0%

石川県

-9.3%

6.7%

長野県

-15.2%

-28.7%

富山県

-61.9%

-43.0%

      (国土交通省発表 都道府県別外国人延べ宿泊者数統計より作成)

JNTOバンコク事務所では、当時、先述のとおり、タイ、フィリピン、ベトナムなどからの観光客の誘致に取り組んでいましたが(シンガポール、マレーシア、インドネシアはJNTOシンガポール事務所の管轄でした。)、3年半のタイでの生活は、繰り返される政情不安や次回言及する予定の大洪水により、自分や家族、職員の安全の確保を真剣に考えざるを得ない事態に直面するなどかなりの波乱もありました。5月の記事はこの画像を最後に掲載していますが、これは、2010年3月から5月にかけてのバンコク騒乱が治安部隊によるデモ隊の強制排除で収束した直後、当時のバンコク事務所の裏側にあるタニヤ通りで、タイ陸軍の装甲車を前に撮影しました。

タイ陸軍の装甲車を前に

私は2010年2月にタイに赴任しましたが、翌3月中旬、タイの農村部からタクシン元首相を支持する大量の農民がバンコクに押し寄せてきます。反政府の親タクシン派は赤をシンボルカラーとしており、いわゆる赤シャツ隊と呼ばれていましたが、4月にはバンコク中心部の商業地区(日本の伊勢丹もありました。)で座り込みを開始することになります。当時、私は家族より一足早く、単身で赴任しており、BTS(スカイトレイン)のプルンチット駅近くに住んでいましたが、住居周辺も赤シャツ隊に占拠されてしまい、バリケードを抜けようとする毎に赤シャツ隊側の検問を受ける有様でした。

日本貿易振興機構(JETRO)が2010年4月12日付で発信したビジネス短信に、「プルンチット駅下で赤シャツに囲まれる警察隊」の注釈付きで、以下の画像が紹介されていますが、まさにこのような状態の中、何とか日常生活を維持しようとしていましたが、当時のバンコク事務所と交差点を挟んで対面にあるルンピニ公園も赤シャツ隊に完全に占拠されてしまい、事務所の周辺でも武装した治安部隊の兵士が常に警戒警備に当たっている状況となりました。

プルンチット駅下で赤シャツに囲まれる警察隊

タイは「微笑みの国」と呼ばれるとおり、基本的にタイ人の性格は穏やかであり、当初、赤シャツ隊のデモも平和的にのんびりとした座り込みの形で行われていました。私も興味本位でデモ現場の中に紛れてみましたが、特に緊張感を感じる場面もありませんでした。しかしながら、4月10日にバンコク郊外でデモ隊と治安部隊が衝突し、日本人カメラマンを含む25人の死者と800人以上の負傷者を出す事態となった頃から、急激に緊張の度合いが上がってきます。

5月中旬に入ると、BTSやMRT(地下鉄)も運休しがちとなり、デモ隊に占拠されたバンコク中心部にある多くのオフィスでも営業見合わせが目立つようになりました。日本大使館も大使館付近でデモ隊と治安部隊の衝突が発生したため、5月15日から日本人が多く居住しているスクンビット地区のホテルの一角に一部の機能を移した仮事務所を開設しており、当方も中心部にあったバンコク事務所への職員の出勤は危険を伴うと判断し、バンコク事務所の一時閉鎖を決断、職員は自宅待機として、日本大使館の仮事務所があったホテルの一室に仮事務所を開設することとしました。

私自身も居住していた地域が危なくなったため、日本大使館に一等書記官として出向中の国土交通省の後輩から、懇願に近い退去・移転の要請を受け、仮事務所と同じホテルに移住することとし、一人で仮事務所にいました。この頃、連日、深夜に渡るデモ隊騒動による睡眠不足や極度の緊張から、生まれて初めて帯状発疹を経験しました。かなり痛かったです。

この騒動はいつまで続くのかと神経をすり減らしていましたが、5月19日、事前の日本大使館からの警告情報どおり、治安部隊がデモ隊を強制排除にかかり、デモ隊拠点のバリケードを装甲車で突破するなど鎮圧に乗り出しました。一部のデモ隊が暴徒化、バンコク市内への商業施設への放火・略奪を行うなど大きな被害を出しつつも、ようやく混乱が収束に向かっていきます。

この日、滞在したホテルの窓から各所で立ち上る黒い煙が見え、その光景は忘れることができません。私は訪日旅行の促進のためにタイへ赴任したのに、一体何をしているのだろうかという苦い思いを噛みしめていました。同じような思いは2011年の日本での東日本大震災とタイの大洪水の際も味わうことになります。今回はこの当たりで終えることにしましょう。

益田浩

昭和61年3月私立修道高等学校卒業、平成3年3月東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種(法律)合格。平成3年4月運輸省採用。平成9年7月運輸省大臣官房人事課付(英国ケンブリッジ大学留学国際関係論)、平成27年7月自動車局自動車情報課長、28年6月大臣官房参事官(税制担当)などを経て、29年7月新潟県副知事。令和2年7月内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官、令和4年6月国土交通省中国運輸局長。

こんな記事も

 

── にいがた経済新聞アプリ 配信中 ──

にいがた経済新聞は、気になった記事を登録できるお気に入り機能や、速報などの重要な記事を見逃さないプッシュ通知機能がついた専用アプリでもご覧いただけます。 読者の皆様により快適にご利用いただけるよう、今後も随時改善を行っていく予定です。

↓アプリのダウンロードは下のリンクから!↓