【記者ノート】「101回目の謙信公祭」による出陣行列や川中島合戦の再現などの戦国絵巻に皆、大興奮

出陣行列や川中島合戦の再現では、今年の“謙信公役”には、地元の越後上越上杉おもてなし武将隊の謙信公(役)が務めた

 “義”の勇将を語り継ぐ101回目の謙信公祭

戦国の勇将、上杉謙信公の遺徳を偲ぶ「第101回謙信公祭」が22、23日に上越市の春日山城跡周辺などで開催された。謙信公は地元上越だけでなく、全国の謙信公ファンから“義”の武将として語り継がれており、メイン行事の出陣行列や川中島合戦の再現などには、両日とも県内はもとより全国から多くの観光客らが駆け付けた。しかも、今年の“謙信公役”には、15年に渡って「越後上越上杉おもてなし武将隊」の謙信公役が務めるなど地元としても大いに盛り上がり、まさに“義の心”を内外に大いにアピールするものとなった。年1度の戦国絵巻に今年も興奮の渦ともなった。

越後上越上杉おもてなし武将隊による謙信公

初日22日9時に春日山城天守台跡で「狼煙上げ」が行われ、それに合わせて上越地域内の各支城群でも狼煙の煙が上がった。その後は春日山神社内での謙信流陣太鼓の演奏や米沢藩保存会の砲術披露、山麓線などでの謙信みこし渡御が続き、その後クライマックスの上杉軍や武田軍による壮大な出陣行列、春日山城史跡広場に会場を移しての川中島合戦の再現へと最高潮に。

中でも、出陣行列の“本番の謙信公役”に、越後上越上杉おもてなし武将隊の謙信公が山麓線沿道に多くの武将達とともに登場し、謙信公大通りの春日山交差点での見事なパーフォーマンスには、これまでの“ゲスト謙信公”とは違う身内としての親しみがあり、沿道からは一層の拍手喝采が鳴り響いた。しかも沿道では市内で活躍する和太鼓集団の力強い太鼓の演奏で、更なる盛り上りを見せた。

伝統受け継ぐ地元春日中学生らも上杉景勝・景虎両隊の武将役も務め見事な演武光る

なお、この謙信公祭は大正15年に地元の青年団が中心となってスタートしたものでもあることもあり、21日には前夜祭も行われ、地元の春日小や高志小の児童らによるちょうちん行列や花火の打上げなども行われた。そうした地元の人達が謙信公祭を引き継ぐという伝統は、地元の小中学生が“参戦”する出陣行列にも例年多くの小中学生も登場している中に見られ、今年の出陣行列には全体で320人余りが参加したが、特に今年はそのうち春日中学校生徒11人が上杉景勝と上杉景虎の両隊に参加し、しかもそれぞれの武将役をも務めて山麓線沿道での堂々とした見事な『中学生武将』の“抜刀”などの演武には、なお一層の感激の拍手が届けられた。

全国から武将隊が勢揃いし『武将隊大合戦』も

8月23日には春日山神社周辺では献納米合戦や武禘式、謙信公の塩献上の儀式などが繰り広げられるとともに、場所を変えての上越文化会館前でも戦国ダンスフェスティバルや『越後上越夏の陣』と銘打った武将隊大合戦も行われた。地元の越後上越上杉おもてなし武将隊だけでなく、県外から信州上田武将隊の「真田幸村と十勇士」や仙台からの「伊達武将隊」、やまがた愛の武将隊、グレート家康公の「葵」武将隊、金澤百万石武将隊、敦賀武将隊などが一堂に会し、全国で活躍する武将隊達による迫力ある演武などにも多くの観光客らを釘付けにした。更に謙信公祭に併せて22日には謙信公武道館相撲場では、奉納武道大会の一環として「相撲大会」も開催された。

4年後2030年に謙信公生誕500周年迎えることから、上越市や地域住民らは企画検討中

なお、この謙信公祭は戦中戦後の激動の時代においても一度も途絶えることなく続けられており、今回で101回を迎えた。1530年に生まれた謙信公も19歳で春日山城に入り、24歳から35歳まで宿敵武田信玄と5度に渡る川中島の戦いを展開した。47歳の時に将軍足利義昭の要請で越中に出陣し、翌年能登の七尾城を落城させるとともに、手取川の戦いで織田信長軍を撃破したが、翌49歳の時に春日山城にて病気で亡くなった。そうしたことから、上越市や地域住民らは4年後の2030年には、謙信公生誕500年を迎えることから、イベントも含め様々な企画を模索中である。

竜 哲樹(にいがた経済新聞ライター)

こんな記事も