【記者ノート】コラム・国際交流の基本は、お互いの心の中にどう人間的な繋がりを創るか

この連休中に約1年ぶりに会ったマレーシア人のアマド・ラフィさん(右・高田駅前のホテルで)
生活日本語を学ぶ機会を通して
私が2年前現役を引退した時、何か国際交流的なボランティア活動をしたいと、上越国際交流協会(JOIN)に加入し、一昨年10月頃から「生活日本語ボランティア」を始め、最初は上越に仕事などで滞在・生活するアジア系の外国人に、生活日本語を教えるという何気ないボランティアをスタートした。
その後確か11月頃から何回かマレーシア人のアマド・ラフィさん(34歳)を担当するようになった。当時はマレーシアから労働ビザで日本に来てまだ2年位で、しかもJOINでは生活日本語を学ぶ外国人とは親しくなってはならないという暗黙の了解があり、私も気を付けようと自覚はしていた。
その後彼の個人レッスンを3カ月程するようになって、次第に彼との距離も縮まり、生活日本語を介してだけでなく、季節も冬になり当時自転車で移動していたことから、彼の住むアパートにも車で迎えに行くようになった。
何よりも彼との距離が狭まったのは、日本スキー発祥の地(明治44年=1911年オーストリアのレルヒ少佐が日本で初めて一本杖スキーの指導を行った)・上越市の金谷山スキー場へ連れて行き、彼がスキーを初めて履く経験をした頃からで、私はスキーがもう出来ないので、その日はレルヒ祭(2月)が行われており、一本杖スキーを伝承する「レルヒの会」の女性メンバーが彼に丁寧にスキーを教えてくれたのだ。
私も彼がスキーをする姿をハラハラと見ていたし、転んでばかりだったから「大丈夫だろうか?」と心配もした。その後、スキーのメッカである妙高原の池の平スキー場に彼は自分だけで行ったということを聞き、チャレンジ精神は本当にすごいなとも思った。
マレーシア人の彼にはマレーシアのクラング市で暮らす父(66歳)と母(57歳)がおり、一人っ子だと言う。日本に来て3年半余りだが、これまで両親が2回来日し、彼に会いに来た。来日して大阪、上越市、昨年5月からは滋賀県大津市内で働き、お隣の草津市に住む。だから私も彼とは一昨年の11月から昨年4月までの半年間の付き合いだ。
特別深い人間関係があるわけではないが、この連休中彼からメールがあり、草津市から125CCのバイクで上越にやって来た。私もすぐ会いたいと連絡し、市内の喫茶店で2時間ほど会った。確か上越市で働いていた時は、冬も自転車で会社に通っていたのに、たくましくなったね! と彼に告げた。会った瞬間、1年間のブランクも無かったようにも感じた。
将来マレーシアでエンジニアコンサルタント
マレーシアは多民族国家だ。5割はもちろんマレー人だが、中国人が25%インド人10%、他にインドネシア人やバングラデシュ人、ミャンマー人などが住む。お隣が面積は小さいが金融大国のシンガポールで、シンガポールも元々はマレーシアの領土だったが、マレーシアから独立した国だ。
彼も5年のビザなので、あと2年は日本にいる予定だ。元々エンジニアであり、これまでも機械のデザインエンジニアみたいな仕事をやって来ており、昨年5月からの大津市の会社では正社員になれたという。
彼は「私もあと2年余り日本で頑張り、マレーシアに帰ってからエンジニアコンサルタントとして活躍したい」とキッパリと将来を見定めている。
国際交流の基本は、人間的な繋がり、思いやり、信頼関係をお互いに築くことではないだろうか
私はマレーシア人の彼と、決して親しかったわけではない。なぜ、滋賀県から会いに来てくれたのだろうか。アジア系外国人との付き合い方法も知らない。何気ない付き合い方だったが、私も彼を大事に思っていたから、その思いが通じたのだろうか。いや、お互いの心の中に、どう人間的な繋がりを創ることが国際交流の基本なのではと感じた。
余り人間関係が深過ぎてもいけないし、心地良いちょうどいい人間的な繋がり、信頼関係とも言えるかも知れない。それは日本人同士も同じかも知れない。歴史や伝統、民族性、何よりも人種が違っても、人間としての心は共通であり、何よりも人を思い遣る心が大事なのかも知れない。
最後に彼は「ぜひ今度は滋賀県に遊びに来て!」と言ってくれたので、今度は私が彼に会いに行く番かなとも思った。そう言えば、もう一つ思い出したことがある。彼が、日本の戦国時代に大変興味を持ち、武士道や侍(さむらい)という日本の歴史・文化に親近感を持っていることが、日本人好きに繋がっているのかも知れないと改めて思った。
竜哲樹(にいがた経済新聞ライター)
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